EVOLUTION

 

知の巨人アリストテレス、分類学の父リンネ、

古生物学の創始者キュヴィエと連なる、自然に対する知識を体系化する博物学は、

19世紀半ばにダーウィンとウォーレスの進化論に到達した。

事実に基づき、歴代の学者たちが打ち立てた仮説の数々を丁寧に読み解きながら、

分子系統学の登場で新たな時代を迎えた“進化学の現在”までを追う。



著者プロフィール
長谷川政美(はせがわ まさみ)

1944年生まれ。進化生物学者。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士(東京大学)。著書に『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』(ベレ出版)『分子系統学』(岸野洋久氏との共著)『DNAに刻まれたヒトの歴史』(共に岩波書店)『新図説 動物の起源と進化―書きかえられた系統樹』(八坂書房)など多数。1993年に日本科学読物賞、1999年に日本遺伝学会木原賞、2005年に日本進化学会賞・木村資生記念学術賞など受賞歴多数。進化が一目でわかる「系統樹マンダラ」シリーズ・ポスターは全編監修を務める。

 

進化の歴史

ー時間と空間が織りなす生き物のタペストリー


最終話

生命の未来

文と写真 長谷川政美

さまざまな脳が、生物多様性や文化、人種の多様性と同じように、世の中をすばらしく豊かにする。
トーマス・アームストロング(2013)『人の個性を才能にかえる』

脳多様性

知っている人の顔の下半分の写真を見て、それが誰であるかを答えるテストでは、自閉症の人は普通の人(一人ひとりみな違っていて、「普通の人」は存在しないので、多様な人の平均という意味)よりも成績がよいという。また隠れた図形探しのテストでも、自閉症の人のほうが成績がよい。視覚的探索を行なっているときに活性化する脳の領域を機能的MRI(脳の血流動態を視覚化する核磁気共鳴法)で調べたところ、普通の人の脳では活性化の大部分が視覚処理に関わる後頭側頭葉に限定されているのに対して、自閉症の人の脳では広範囲で活性化していた。
テンプル・グランディンによると、自閉症の人は細部を見るのが得意だという。これは「木を見て、森を見ない」ことになるが、彼女自身、このようなボトムアップ方式で細部を冷静に切り離して眺めることができたから、トップダウン思考に特有の先入観からたやすく解放されたという(テンプル・グランディン、リチャード・パネク『自閉症の脳を読み解く』中尾ゆかり訳、NHK出版、2014)。
「神は細部に宿りたもう」というが、確かに物事の細部に人生の真実や宇宙の真理が啓示されることが多い。細部にはらう注意、とてつもない記憶力、連想力が一体となって働いて、創造的な飛躍の可能性が生まれるという。創造的な研究を行なった科学者のなかには、自閉症スペクトラムに属すると思われる人が多いのだ。
イギリス・ヨーク大学の考古学者ペニー・スピキンスは、2016年に医学者らと共著で書いた総説のなかで、自閉症の存在が人類進化の初期にも重要な働きをした可能性を議論している。狩猟採集社会において、グループのメンバーが協同で狩りをする際に、他人の心を推し量る能力は重要だったと考えられる。ところが、社会性が欠如しているといわれる自閉症の人がどの民族にも一定の割合で含まれている。個体レベルの選択では、社会性に問題のある自閉症の人は集団から取り除かれるように思われるが、スピキンスらは多様な人材を擁することが、社会が存続する上で重要だったと主張する。例えば、狩りは下手でも、新しい道具を発明する能力をもった人の存在は、グループの存続にとって重要であり、そのような人物はほかのメンバーからも尊敬されたであろう。物事を普通の人とは違ったとらえ方をする自閉症の人には、そのような能力をもつ人が多いという。また狩猟採集民が森のなかで出会う危険を察知し、食べられるものを見つけ出す際にも、メンバーのなかに細かい違いにすぐに気がつく人がいることは大いに助けになるであろう。そのようなことは自閉症の人が得意とするものである。
自閉症スペクトラムのなかに、アスペルガー症候群と呼ばれるものがある。1940年代にオーストリアのハンス・アスペルガーが記載したものだ。そのアスペルガーは、「彼らは無条件には周囲から言われたことをそのまま受け入れない。それゆえ、自分の興味ある狭い領域では革新的なことができる」と述べている。アスペルガーはさらに、彼らが物事の細部に関心をいだくのは、混沌とした世界からデータを体系的に獲得していく特殊な形式の知能であると考えた。
自閉症の人には社会性が欠如しているという一般の認識に対して、スピキンスらは自閉症の人たちは、他人も自分と同じように考えているという普通の人が持つ心の理論の代わりに、他人の意見に流されない独自の心の理論をもっていると主張する。
石器など新しい道具の発明には、自閉症の人の存在が重要であり、そのような多様な人材を抱えた社会だけが生き延びることができたのかもしれない。シベリアの遊牧民のなかには、自分が連れている2600頭のトナカイすべての親子関係、病歴などの詳細を記憶している人がいるという。
現代人における統合失調症の発症率も、民族によらずにほぼ一定である。デイヴィッド・ホロビンは、統合失調症に関連した遺伝子が、多くの創造的な発明に重要な役割を果たしたと考えている。いずれにしても、ヒトの脳が多様であることが、文明が生まれる上で重要だったということは確かであろう。
学習障害の一種で、文字の読み書き学習に困難を抱えるディクレクシア(失読症)の人は高い視空間能力をもつが、美術史に残る人のなかには、これに該当すると考えられる人が多い。トーマス・アームストロングは、現代ではグラフィック・コンピュータが手に入るようになり、立体思考をするディクレクシアの人が情報処理の世界で活躍できる新しい分野が誕生しているという。 脳の多様性がヒト以外の動物でどのくらいあるか分からないが、多様な脳をもつ人を抱えていることは、人類社会の大きな特徴なのかもしれない。

◎エピローグ

今日温暖化による地球環境の危機が叫ばれている。この問題はわれわれの生活に深刻な影響を及ぼすとともに、多くの生物種を絶滅に追い込むであろう。しかし、いずれ人類が化石燃料を使いつくした時点で終わる問題である。もちろんその後も影響は長く続き、人類の存続を危うくするかもしれないが、もっと長い時間スケールでみると、地球生命系全体にとってさらに深刻な問題がある。
それは、1992年にアメリカ・ペンシルバニア州立大学のケン・カルデイラとジェイムス・ケイスティングが指摘した問題である。第34話でおよそ22億年前に最初の全球凍結が起った頃は、太陽が現在とくらべると23%ほど暗かったという話をした。その後、太陽の明るさは時代を追って明るくなり、今後もさらに明るさを増していき、50億年後には現在の2倍の明るさになるという。
地球大気中の二酸化炭素の濃度は、短期的には増加したり減少したりを繰り返してゆらいできたが、長期的には減り続けてきた。この減少傾向は今後も続くという。その理由は今後も太陽が明るくなるからである。二酸化炭素の多くは火山活動によって供給されるが、大気中の二酸化炭素は水に溶けて炭酸になる。この弱い酸は、大陸地殻を構成する珪酸塩鉱物を溶かす。これが化学的風化作用である。このような風化作用によってさまざまな陽イオンが溶け出して、河川を通じて海に運ばれる。海ではこれらの陽イオンが炭酸水素イオンHCO3-と反応して炭酸塩として沈殿する。このように二酸化炭素は光合成以外の方法でも固定される。
ここで、太陽が明るくなって地表の温度が上がると化学的風化作用が盛んになって、二酸化炭素の消費が進む。温室効果ガスの二酸化炭素の消費は、地表の温度を下げる方向に働く。このような負のフィードバックがあるために、地表の温度は比較的一定に保たれてきたと考えられる。1981年にシカゴ大学のジェームズ・ウォーカーらが初めて指摘したので、「ウォーカー・フィードバック」と呼ばれている(ジェイムス・ケイスティングもこの論文の共著者の一人)。
カルデイラとケイスティングは、ウォーカー・フィードバックがあっても太陽が明るくなることに伴って、今後も次第に大気中の二酸化炭素濃度が減り続け、今から数億年後には現在の植物の大半が行っているC3型光合成は働かなくなると予測したのである。例えばイネ科植物のトウモロコシやサトウキビなどは、これとは違ったC4型光合成を行なっている。C4型光合成は低二酸化炭素濃度に適応したものだと言われているが、それでも今から9~15億年後にはこれも働かなくなるという。さらにそれよりも10億年後には現在の火星のように地表からは水が失われるという(最近、火星の極の地下深くに液体の水の存在することが確認されたが)。
第28話で、細菌類は代謝系の多様性が高く、地殻内にも生息することから、地球環境がいかに変動しても、地球が存続する限りすべての細菌が絶滅することはないだろう、と述べた。しかし、上で述べたような大変動を生き延びられる生物は少ないであろう。今から50億年後には、膨張した太陽に地球が飲み込まれてしまう可能性があるようだが、そうなる前に地球の生態系は細菌類だけとなり、われわれから見るとずいぶん寂しいものになっているであろう。
このようにして地球上で誕生した生き物のタペストリーは最期を迎えるであろう。しかし、宇宙には新しい恒星が次々に誕生し、そのなかには地球に似た惑星を従えるものもあるだろう。
コペルニクスは、人々の考えを地球が宇宙の中心であるとする天動説から地動説に転換したが、彼にとっては太陽が宇宙の中心であった。1600年に異端者として火刑に処せられたドミニコ会の修道士ジョルダーノ・ブルーノGiordano Bruno (1548—1600)は、コペルニクスの考えをさらに推し進めて、太陽でさえも無限の宇宙の中の無数の恒星の一つに過ぎなく、宇宙の中心などは存在しないとした。現在の天文学では、宇宙は有限だとされているが、太陽系はたくさんの銀河系の一つに属するたくさんの恒星の一つに過ぎない。ブルーノの考えのなかで特筆すべきことは、「地球上でみられる法則が宇宙のどこでも適用される」ということである。
われわれの地球が最期を迎え、数十億年にわたって綿々と受け継がれてきた生命の系譜が途絶えても、新たに誕生する恒星のなかには地球に似た惑星も生まれるだろう。天文学的な数の惑星のなかには、38億年前の地球で起ったように新たに生命を生み出すものもあるだろう。こうして宇宙のどこかで新しい生命のタペストリーが織られ続けていくことであろう。


*もっと「進化」を詳しく知りたい人に最適の本
長谷川政美著『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』 (ベレ出版)。 本書は当サイトで連載していた「僕たちの祖先をめぐる15億年の旅」を加筆修正および系統樹図を全て作り直して一冊にまとめたものです。カラー図版600点掲載。

扉絵:小田 隆
ブックデザイン:坂野 徹

*もっと「進化」を詳しく知りたい人に最適の本
長谷川政美著系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史 (BERET SCIENCE) (ベレ出版)。 本書は当サイトで連載していた「僕たちの祖先をめぐる15億年の旅」を加筆修正および系統樹図を全て作り直して一冊にまとめたものです。カラー図版600点掲載。

扉絵:小田 隆
ブックデザイン:坂野 徹

【バックナンバー】
第1話 「自然の階段」から「生命の樹」へ
第2話 リンネの階層分類
第3話 キュヴィエの新しい分類
第4話 共通祖先からの進化
第5話 偶然性の重視
第6話 自然選択の現場 ーガラパゴスフィンチ
第7話 なぜ多様な種が進化したか?
第8話 分子系統学の登場
第9話 ペンギンはなぜ北極にいないか
第10話 ウォーレスのマレー諸島探検
第11話 ペンギンの分布
第12話 ホッキョクグマの分布
第13話 ウェゲナーの大陸移動説
第14話 大陸移動説の拒絶と受容
第15話 大陸分断による種分化と
幸運に恵まれた移住

第16話 海を越えた移住
第17話 古顎類の進化
第18話 南極大陸を中心とした走鳥類の進化
第19話 進化発生生物学エボデボの登場
第20話 繰り返し要素の個性化と多様な形態の進化
第21話 表現型の可塑性
第22話 ジャンクDNA
第23話 少ない遺伝子
第24話 ヘモグロビンにおける調節
第25話 エピジェネティックス
第26話 獲得形質は遺伝するか?
第27話 美しいオス
第28話 性選択
第29話 生命の誕生
第30話 すべての生き物の共通祖先LUCA
第31話 古細菌と真核生物を結ぶ失われた鎖
第32話 真核生物の起源についての「水素仮説」
第33話 地球生物の2大分類群
第34話 細胞核の起源
第35話 絶滅
第36話 凍りついた地球
第37話 全球凍結後の生物進化
第38話 カンブリア爆発
第39話 生命の陸上への進出
第40話 哺乳類型爬虫類の絶滅と恐竜の台頭
第41話 多様な菌類の進化
第42話 分解者を食べる変形菌の進化
第43話 中生代の世界とその終焉
第44話 非鳥恐竜の衰退
第45話 哺乳類の台頭
第46話 小さな生物が担う多様性
第47話 鳥類の台頭と翼竜の衰退
第48話 大量絶滅からの再出発
第49話 ホモ・サピエンスの進化
第50話 脳の進化