EVOLUTION

 

知の巨人アリストテレス、分類学の父リンネ、

古生物学の創始者キュヴィエと連なる、自然に対する知識を体系化する博物学は、

19世紀半ばにダーウィンとウォーレスの進化論に到達した。

事実に基づき、歴代の学者たちが打ち立てた仮説の数々を丁寧に読み解きながら、

分子系統学の登場で新たな時代を迎えた“進化学の現在”までを追う。



著者プロフィール
長谷川政美(はせがわ まさみ)

1944年生まれ。進化生物学者。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士(東京大学)。著書に『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』(ベレ出版)『分子系統学』(岸野洋久氏との共著)『DNAに刻まれたヒトの歴史』(共に岩波書店)『新図説 動物の起源と進化―書きかえられた系統樹』(八坂書房)など多数。1993年に日本科学読物賞、1999年に日本遺伝学会木原賞、2005年に日本進化学会賞・木村資生記念学術賞など受賞歴多数。進化が一目でわかる「系統樹マンダラ」シリーズ・ポスターは全編監修を務める。

 

進化の歴史

ー時間と空間が織りなす生き物のタペストリー


第10話

ウォーレスのマレー諸島探検

文と写真 長谷川政美

◎ウォーレス線の発見

マレー諸島に8年間滞在したウォーレスは、バリとその東側のロンボク、ボルネオとその東側のセレベスの間の線を境に、動物相が大きく異なることを発見した。この線が現在、ウォーレス線と呼ばれるものである(図10-1)。

図10-1 マレー諸島の地図とウォーレス線。ウォーレス線は1868年にトマス・ハックスレーによって命名された。ウエーバー線は、1902年にマックス・ウエーバーによって提唱された別の分布境界線。ウォーレス線とウエーバー線にはさまれたところは「ウォーレシア」と呼ばれる. http://sciencythoughts.blogspot.jp/2012/10/wallace-archive-goes-online.htmlを改変したもの。図をクリックすると大きく表示されます。

サラワクで例の論文を書いたあとの1856年、ウォーレスはスラウェシ(セレベス)のマカッサルを目指して旅立った。サラワクからシンガポールに戻った日に、予定していたマカッサル行きの船がちょうど出航してしまったあとだったので、とりあえずロンボクまで行って、そこでマカッサル行きの船を探すことにしたのだ。たまたまウォーレスの乗った船はロンボクに着く前に、バリに寄港し2日間そこに滞在することになった。このようにバリとロンボクという2つの島を偶然訪れることになったおかげで、ウォーレスは生物地理学上の大発見をすることができた。
バリ島とロンボク島は気候も景観も似ていて、しかもお互いの島が見えるおよそ25kmの距離しか隔たっていないのに、そこに住む動物はまったく異なっていた。例えば、コバタン(図10-2)というインコはロンボク島にはたくさんいるのに(ただしその後ロンボク島では絶滅した)、バリでは見られない。インコを含むオウム類はオーストラリア区(オーストラリア、ニューギニア、モルッカ諸島など)に分布し(南北アメリカとアフリカにも分布するが)、東洋区(バリ、ジャワ、スマトラ、ボルネオ、アジア大陸)には見られないのである。

図10-2 コバタンCacatua sulphurea。現在ロンボク島では絶滅したとされるが、ウォーレスはロンボク島がこの種の分布の西端であり、これよりも西のバリ、ジャワ、ボルネオには分布しないことを明らかにした。この境界線は「ウォーレス線」と呼ばれる。

ウォーレスがスラウェシのマカッサルにようやく到着したのは、シンガポールを出港してから3か月以上もあとのことであった。この地でおよそ3か月過ごしたあと、彼はニューギニア近くのアルー諸島にまで足をのばし、そこで半年間滞在する。
アルー諸島を訪れた最大の目的は、極楽鳥とも呼ばれるフウチョウであった(図10-3)。標本採集人としては、この美しい鳥の標本は是非とも手に入れたいものだった。彼は生きたフウチョウを見た西洋の最初の博物学者だったと思われる。フウチョウ科もニューギニアやアルー諸島などウォーレス線の東側にしか分布しない。

図10-3 オオフウチョウParadisaea apoda。ウォーレスはアルー諸島でこの極楽鳥(フウチョウ)の生きた姿を最初に見た西洋の博物学者。フウチョウ科はウォーレス線の東側にしか分布しない。

アルー諸島での収穫は、フウチョウの多くの標本以外に、そこに生息する哺乳類がコウモリ以外はすべて有袋類であるという発見だった。そしてもっと西のバリ、ジャワ、スマトラ、ボルネオなどの島々には有袋類は生息しない。アルー諸島の有袋類は、ニューギニアやオーストラリアのものと同じようなものだったことから、ウォーレスはこれらの陸地がかつてはつながっていたのではないかと考えた。実際にこれらの陸地の間に広がる海は浅いのである。
一方、もっと西に位置するジャワ、スマトラ、ボルネオ、バリなどの動物相は、マレー半島を含む東南アジアのものと同じようなものだった。マレー半島とこれらの島々の間の海も浅く、かつてはすべてユーラシア大陸の一部であったと考えられるのだ。ところが、バリとロンボク、ボルネオとセレベスの間の海は深く、これらの島がつながったことはなかったと考えられる。ウォーレス線はこれらの島の間を走る動物相の境界線なのだ。

◎地質学的な歴史を反映する動物相

分かりやすい例として、ニューギニアとボルネオを比較してみよう。どちらも赤道直下の大きな島で、森林におおわれ、湿潤な気候である。このように環境は非常に似ているのに、共通の哺乳類はいない。ニューギニアの哺乳類はすべて有袋類だが、ボルネオには有袋類はおらず、すべて真獣類なのだ。
オーストラリアには乾燥した平原に適応したカンガルーのような有袋類が多いが、そのような有袋類の仲間が湿潤な気候のニューギニアにいることは一見不思議に思われるかもしれない。ウォーレスのように、かつてニューギニアはオーストラリアとつながっていたことがあると考えれば、このことは納得できる。
一方、ウォーレス線は深い海であり、有袋類はこれを越えてさらに西の島へは進出できなかったのだ。ウォーレスはこのように、動物の分布が地質学的な歴史を反映していることを明らかにした。
ボルネオ、ジャワ、スマトラとマレー半島の間の海は浅く、これらの島々はかつてアジア大陸と陸続きであったため、アジアの動物相が見られるというウォーレスの指摘は正しい。
一方、ニューギニアやアルー諸島とオーストラリアの間の海が浅く、かつて陸続きであったためにこれらの島々の動物相がオーストラリアと共通するという彼の推測も合理的である。
ところがすべてのことが、単純な説明ですっきりするということは、生物学の世界ではあまりない。事実、ウォーレスにとっても悩ましいことがあった。それがウォーレス線の東側に位置するスラウェシ島である。
スラウェシはマレー諸島の中心に位置しているので、マレー諸島全体の動物相の豊富さを代表しているように考えられがちであるが、実際にはそうではない。スラウェシはジャワの2倍の面積をもつが、哺乳類と陸鳥の種数は半分以下しかない。しかし逆にこの島にしかいない固有種が多いのだ。
ウォーレス線の東側に位置して、ヒメクスクス(図10-4)やクロクスクスなど有袋類のクスクスが分布する一方で、霊長目のクロザル(図10-5)やムーアモンキー、それにスラウェシメガネザル(図10-6)、鯨偶蹄目のバビルサ(図10-7)などの真獣類も分布する。

図10-4 ヒメクスクスStrigocuscus celebensis。英名はSulawesi dwarf cuscusと呼ばれるスラウェシ島の有袋類。Joseph Wolf  (1820 –1899) による。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sulawesi_dwarf_cuscus

図10-5 クロザルMacaca nigra。スラウェシ島固有の霊長類。

図10-6 スラウェシメガネザルTarsius spectrum。スラウェシ島の霊長類。

図10-7 バビルサBabyrousa babyrussa。スラウェシ島のイノシシ科・鯨偶蹄類。
現在では、スラウェシ島は東洋区からもオーストラリア区からも深い海で隔てられているために、どちらからも渡って来ることが難しく、従って哺乳類の種類が少ないのだと考えられている。そのためにたまたま到達することができた祖先種から、クロザルやバビルサのように独特の哺乳類が進化した。
20世紀に入ってマックス・ウェーバーが動物の分布境界線として「ウェーバー線」と呼ばれるものを提案した(図10-1)。スラウェシ島はこのウェーバー線とウォーレス線の間に入る。2つの分布境界線の間の領域は、現在「ウォーレシア」と呼ばれるが、東洋区とオーストラリア区の動物相が混じり合うところなのだ。

◎進化を引き起こすものは何か

アルー諸島のあと、ウォーレスはモルッカ諸島のテルナテに移った。テルナテはモルッカ諸島のハルマヘラ島(ジロロ島ともいう)の西側に位置する島で、図10-1の地図では目で見えないほど小さな島である。彼がこの島にやって来た目的は、ニューギニアへの拠点とするためであった。ところが、彼はそこでマラリアを発症してしまった。毎日、発熱と悪寒に苦しめられた病床にあって、彼はそれまで積み重ねてきた彼の進化論について考えをめぐらした。1855年のサラワク論文で、生物が進化することははっきりした。残る問題は、進化を引き起こす機構であった。
病床で突然、彼は10年以上前に読んだトマス・ロバート・マルサスの『人口論』のことを思い出した。マルサスによると、ヒトの場合、生まれてくる子供の数の割に人口は増えないように抑制されているという。ヒトには人口を幾何級数的に増加させる繁殖力があるのに、実際には、病気や飢え、事故、戦争などのために死んでいくものが多く、むやみに人口が増えることはない。人口増加がいろいろな仕組みで抑えられているのだ。
ウォーレスは同じことが動物にも当てはまることに気づいた。ヒトよりも繁殖力が高くてたくさんの子供を産む動物は多いが、通常は彼らがむやみに増えることはない。生まれてくる子供のごく一部しか無事に成長して、次世代に子供を残すことができないからだ。そのような状況でどのようなものが死んでいき、逆にどのようなものが生き残って子孫を残すか、と考えた。突然、長年考えていた問題の答えが得られた。
病気に打ち勝って生き残る個体は、最も健康なものであり、捕食者から逃れて生き残る個体は、最も足が速いものか、あるいは敵を欺く最も賢いものであろう。このようなことを通じて種の特徴が次第に変わっていくに違いないと。これが現在「自然選択説」と呼ばれる進化機構である。
前にも紹介したが、これはすでにダーウィンも考えていたこととまったく同じものであったが、公表されていなかったのでもちろんウォーレスにはそのことを知る由もなかった。ウォーレスは2晩でこの考えを論文にまとめて、ダーウィンの意見を仰ごうと原稿を彼に送ったのだ。これがダーウィンを慌てさせ、ライエルとフッカーによってダーウィンの草稿の抜粋と一緒にリンネ協会の例会で同時発表されたものである。
ウォーレスとダーウィンは2人ともマルサスの『人口論』の影響を受けて自然選択説に到達したと言われているが、もう1つこの2人に大きな影響を与えた本があった。それはアレクサンダー・フォン・フンボルトの『新大陸赤道地方紀行』であった。そのなかで、フンボルトは世界最大のげっ歯類であるカピバラの個体群動態について記している。彼は、カピバラが非常に高い繁殖力をもつことを知っていたが、一方でカピバラが陸上ではジャガーに襲われ、水中ではワニに食べられるのを目撃した。このような2種の天敵がいなければ、カピバラの数は爆発的に増えるに違いないと述べている。この本はウォーレスとダーウィンの愛読書だったから、彼らの頭の片隅にこの記述が残っていたに違いない。
「自然選択説」のテルナテ論文を書いたあとも、1862年にイギリスに帰国するまで、ウォーレスはマレー諸島の探検を続けた。この論文の翌年にはテルナテの南のバチャン島でフウチョウの新属である見事な飾り羽をもったシロハタフウチョウ(図10-8)を発見している。彼は、これをこれまでで最大の発見だと喜んだ。ウォーレスはマレー諸島で動物と時間・空間の関係の問題、つまり動物の地理的分布とその原因の解明を続けていた。彼は、1862年にイギリスに帰国するが、その際に生きたコフウチョウ(図10-9)2羽を持ち帰った。

図10-8 シロハタフウチョウSemioptera wallaceii(ジョン・グールド『オーストラリアの鳥類』より、玉川大学教育博物館提供画像)。バチャン島でウォーレスが発見した新属のフウチョウ。「ウォーレスのシロハタフウチョウ」という学名は、大英博物館のジョージ・グレイによってつけられ。

図10-9 コフウチョウParadisaea minor(ジョン・グールド『ニューギニアの鳥類』より、玉川大学教育博物館提供画像)。

つづく


*もっと「進化」を詳しく知りたい人に最適の本
長谷川政美著『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』 (ベレ出版)。 本書は当サイトで連載していた「僕たちの祖先をめぐる15億年の旅」を加筆修正および系統樹図を全て作り直して一冊にまとめたものです。カラー図版600点掲載。

扉絵:小田 隆
ブックデザイン:坂野 徹

*もっと「進化」を詳しく知りたい人に最適の本
長谷川政美著系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史 (BERET SCIENCE) (ベレ出版)。 本書は当サイトで連載していた「僕たちの祖先をめぐる15億年の旅」を加筆修正および系統樹図を全て作り直して一冊にまとめたものです。カラー図版600点掲載。

扉絵:小田 隆
ブックデザイン:坂野 徹

【バックナンバー】
第1話 「自然の階段」から「生命の樹」へ
第2話 リンネの階層分類
第3話 キュヴィエの新しい分類
第4話 共通祖先からの進化
第5話 偶然性の重視
第6話 自然選択の現場 ーガラパゴスフィンチ
第7話 なぜ多様な種が進化したか?
第8話 分子系統学の登場
第9話 ペンギンはなぜ北極にいないか