LUCA

 

はるかむかし地球上のあらゆる生物の共通の祖先がいた。

まだ見ぬその姿は細菌のようだったのだろうか?

ダーウィンが夢見た、共通祖先から連なる全生物の進化の系統樹が、

生物のもつDNA情報にもとづいて、いまその姿を現しつつある。

進化生物学者である著者が撮影した貴重な写真コレクションを用いて、

動物界、なかでも昆虫綱、哺乳綱、鳥綱の驚きの進化を100点超の系統樹で表現する。



著者プロフィール
長谷川政美(はせがわ まさみ)

1944年生まれ。進化生物学者。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士(東京大学)。著書に『分子系統学』(岸野洋久氏との共著)『DNAに刻まれたヒトの歴史』(共に岩波書店)、『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』(ベレ出版)、『世界でいちばん美しい進化の教室』(監修、三才ブックス)、『共生微生物からみた新しい進化学』(海鳴社)、『進化38億年の偶然と必然』(国書刊行会)など多数。最新刊は『ウイルスとは何か』(仮題、中公新書、2023年1月刊行予定)。進化に関する論文多数。1993年に日本科学読物賞、1999年に日本遺伝学会木原賞、2005年に日本進化学会賞・木村資生記念学術賞など受賞歴多数。全編監修を務める「系統樹マンダラ」シリーズ・ポスターの制作チームが2020年度日本進化学会・教育啓発賞、2021年度日本動物学会・動物学教育賞を受賞。

 

すべての生き物をめぐる
100の系統樹


第33話

直翅目の系統樹マンダラ

文と写真 長谷川政美

図33AIbi-6.直翅目の系統樹マンダラ。系統樹は文献(1)による。本図をクリックすると拡大表示されます。

直翅目(ちょくしもく)は、バッタ科、オンブバッタ科、そのほかこの図には出てこないたくさんの科を含むバッタ亜目(Caelifera)とキリギリス科、カマドウマ科、コオロギ科、ケラ科などを含むキリギリス亜目(Ensifera)に大別される。
直翅目はトンボなどの蜻蛉目(とんぼもく)と並んで最初期に地球上に現れて現在まで繁栄を続けている昆虫のグループであり、石炭紀が始まるおよそ3億6000万年前にはバッタ亜目とキリギリス亜目の分岐が起こったと考えられる。

◎なぜ鳴くようになったのか

ヘンリー・ベイツの本に出てくるキリギリス科の一種、Chlorocoelus tanana。この学名の種小名は、アマゾン原住民がタナナと呼んでいたことからきているが、現在ではThliboscelus hypericifoliusという学名が使われている。この図はベイツの『アマゾン河の博物学者』(2)に掲載されたものであるが、その後ダーウィンの『人間の進化と性淘汰』でも転載された。

直翅目にはキリギリスやコオロギなど鳴くものが多い。直翅目のなかでキリギリス亜目では、キリギリス科とコオロギ科でオスは種によって異なる独特の音を出してメスを呼ぶ。
またバッタ亜目のバッタ科でもナキイナゴやヒロバネヒナバッタなど鳴き声を発するものがいる。彼らが音を出す仕組みはバイオリンのような弦楽器と同じである。バイオリンの弦に相当するのは前翅の下面でヤスリ状にたくさんの細く尖った溝が並んでいるところである(上の図のa)。これに弓に相当する反対側の前翅で突き出ているまさつ器(上の図のb)をこすり合わせて音を出す。キリギリス科とコオロギ科とで弦と弓が左右入れ替わっている。
直翅目全体ではおよそ1万6000種でオスがメスを呼ぶためにこのような仕組みで音を出している。バッタ亜目にくらべてキリギリス亜目のほうが現生の種数が多く、その多くが夜行性で音を出す種類である。
石炭紀の初期には食虫性の脊椎動物が現れていた。彼らにはまだ鼓膜による聴覚は進化していなかったが、捕まえたキリギリスなどの出す音を触覚的に感知し、それに驚いて放してしまうことがあったのではないかという(1)。
つまり、直翅目の出す音はもともと威嚇行動として進化した可能性がある。このようにして進化した音を出す仕組みが、その後オスがメスを呼ぶために使われるようになったというのだ。
ケラ科はキリギリス亜目のなかでコオロギ科に近く、地中での生活に適応したグループである。ケラにも発声器官があって鳴く。

◎虫の鳴き声を楽しむ文化

日本では8世紀後半の奈良時代の『万葉集』に秋の虫の鳴き声を詠んだ歌が7首残されている (3)。例えば次のようなものがある。

影草(かげくさ)の生(お)ひたる屋外(やど)の夕陰に鳴く蟋蟀(コオロギ)は聞けど飽(あ)かぬかも
                       万葉集2159
                       作者未詳


ここから、虫の鳴き声を楽しむ文化は少なくともこの時代までさかのぼることができることが分かる。その後、平安時代には鳴く虫をカゴに入れて鳴き声を楽しむことが貴族階級で流行した。

竹細工の虫かご。

日本では鳴き声を楽しむための虫かごは、上の写真のように竹細工のものが多い(最近のものはプラスチック製が多いが)。
ところが、同じように虫の鳴き声を楽しむ文化が発達した中国では、下の写真のように密閉型のものが多い。
虫かごならば鳴き声とともに虫を視覚的に楽しむこともでき、中国にもなかが見える虫かごもあるが、この密閉型の容器は鳴き声を楽しむことに特化したものである。高さは10cmに満たないので、ポケットに入れて持ち運ぶこともできる。 このような容器は北京など寒い地方の人々が保温のために考えたものかもしれない(4)。
下の写真のヒョウタンの容器は、私が上海で購入したものであるが、このような容器は北の地方から伝わったものかもしれない。

ヒョウタンで作られた中国の鳴く虫容器。

コオロギなどの虫の鳴き声を楽しむ文化は、日本や中国など東アジアだけのものと考えられがちである。西洋人にとってコオロギの鳴き声は雑音にしか聴こえないというひとさえもいる。
確かに忙しい現代の西洋人(日本人のなかにも)にはそのようなひともいるかもしれないが、鳴く虫を飼う文化は、古代ギリシャでも紀元前400年まで遡ることができるという(4)。
現代イタリアの作曲家ニーノ・ロータ(Nino Rota, 1911~1979)の作品に“Grillo Notturno”(夜のコオロギ)というピアノ曲がある。ドイツでも鳴く虫文化が1930年頃まであり、虫の鳴き声を楽しむ文化は、ヨーロッパでも続いていたのである。
ところで、第17話で紹介したベイツ型擬態を発見したヘンリー・ベイツは、アマゾン河流域の原住民が、キリギリスの一種をヤナギの小枝で編んだ虫かごに入れて鳴き声を楽しむために飼っているのを見たという(2)。
前のほうの図で紹介したタナナというキリギリスである。タナナという名前は、その鳴き声がちょっと間をおくだけで、続けて「ターナーナー、ターナーナー」と鋭く響き渡る摩擦音だということからきている。どうも鳴く虫を飼って楽しむ文化はヒトに普遍的なもののようである。

◎人類を悩ませてきたサバクトビバッタ

群生相のサバクトビバッタ(Schistocerca gregaria;バッタ科)。

上の写真のようなサバクトビバッタというバッタがいる。
西アフリカから中東、東南アジアにかけて分布するバッタで、普段はあまり目立たないが、時々大発生して農作物に甚大な被害を与えてきた。普段は単独性でおとなしい(このような状況を孤独相という)。それが上の写真のように大発生して密集すると群れで同じ方向に飛ぶようになる。これを「群生相(ぐんせいそう)」という。
このような変化は、水が氷に変わるような物理学の「相転移」と似ていて、「相変異」と呼ばれる。同じ生き物が置かれた環境によって全く違ったものに変身するのだ(5)。
群生相のバッタは一日で5~130キロメートル移動する。アフリカで発生したサバクトビバッタの群れが、大西洋を越えてカリブ海の島々にたどり着いたという報告もある。彼らは、自分の体重と同じくらいの量の植物を食い尽くしながら、食べ物を求めて新しい土地に移動していく。

トノサマバッタ(Locusta migratoria;バッタ科)。

同じような相変異は、日本にも分布するトノサマバッタでも見られる。
中国では水害、旱害、風霧雹霜害、疫病害、虫害の「五害」を制した者が国を治めるといわれてきたという。これらは農作物に壊滅的な打撃を与えてきたのだ。
このうちの最後の虫害の最大の原因がトノサマバッタであった。「飛蝗(ひこう)」と呼ばれる群れをなして作物を食い尽くしながら移動するバッタである。
飛蝗に関する一番古い記述は、中国最初の歴史書の『春秋』にある紀元前707年の大発生である(6)。
さらに古い紀元前17世紀から紀元前1046年まで続いた殷王朝の後期に作られた漢字の祖先型である甲骨文字にも飛蝗に関係するものがあるという。甲骨文字はカメの甲羅やウシの肩甲骨などに刻み、それを熱してできたひび割れで政(まつりごと)について占ったとされている。そのなかにバッタと思われる文字があり、飛蝗の発生について占ったというのである。
また、「秋」という漢字に相当する甲骨文字が文献(7)にある。これは虫害をなす虫を火で焼く場面を表わしているという。
この虫にはバッタの触角のようなものがついている。著者の白川静はこの虫が飛蝗だとは解釈していないが、これが飛蝗だったという説もある(6)。
現在の「秋」には、穀物を表わす「禾」と「火」だけが残って触角をもった虫の部分は失われてしまったのだ。
甲骨文字は統一されたものではなく(漢字を統一したのはもっと後の時代の秦の始皇帝といわれている)、さまざまなバリエーションがあり、「秋」の祖先型といわれているものにも、「火」に相当するものを含まないものもある。そのため、単に「穀物につく害虫」の象形であるという説明がなされることもある。
しかし、現在残った「秋」という漢字に「火」が含まれることから、「虫害をなす虫を火で焼く場面」と解釈するのが妥当であろう。
秦の始皇帝が統一したといわれる小篆(しょうてん)という書体の段階で、現在のような「禾」と「火」だけが残ったものが生まれたようである。

◎毒をもつバッタ

キマダラドクバッタ(Phymateus saxosus;オンブバッタ科)。マダガスカルにて。。

上の写真はマダガスカルのキマダラドクバッタである。ケバケバしい色彩は捕食者に対して有毒だから食べないでという警告だと考えられる。このバッタの幼虫はトダイグサ属(Euphorbia)の植物を食べそれに含まれる毒を体内にため込んでいるのだ。
つづく

1. Song, H., Béthoux, O., Shin, S., et al. (2020) Phylogenomic analysis sheds light on the evolutionary pathways towards acoustic communication in Orthoptera. Nature Comm. 11, 4939.
2. Bates, H.W. (1863) “The naturalist on the River Amazons, A record of adventures, habits of animals, sketches of Brazilian and Indian life and aspects of nature under the Equator during eleven years of travel” (日本語訳:ヘンリー・W・ベイツ『アマゾン河の博物学者』長澤純夫訳、思索社、1990年)
3. 小西正泰(1977)『虫の文化誌』朝日新聞社.
4. 加納康嗣 (2014) 昆虫鑑賞:鳴く虫を楽しむ、『文化昆虫学事始め』(三橋淳、小西正泰編、第5章、pp. 121-148、創森社).
5. 前野・ウルド・浩太郎(2012)『孤独なバッタが群れるとき:サバクトビバッタの相変異と大発生』東海大学出版会.
6. 瀨川千秋(2016)『中国:虫の奇聞録』大修館書店.
7. 白川静(2007)『字統』平凡社.




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イラスト:ちえちひろ
編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)


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編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)





<バックナンバー>
第1話「全生物界の系統樹マンダラ」
第2話「動物界の系統樹マンダラ」
第3話「植物界の系統樹マンダラ」
第4話「単子葉植物の系統樹マンダラ」
第5話「真正双子葉植物の系統樹マンダラ」
第6話「続真正双子葉植物の系統樹マンダラ」
第7話「菌界の系統樹マンダラ」
第8話「アメーボゾア界の系統樹マンダラ」
第9話「節足動物門の系統樹マンダラ」
第10話「クモ目の系統樹マンダラ」
第11話「汎甲殻亜門の系統樹マンダラ」
第12話「昆虫綱の系統樹マンダラ」
第13話「鱗翅目の系統樹マンダラ」
第14話「シャクガ上科の系統樹マンダラ」
第15話「カイコガ上科の系統樹マンダラ」
第16話「ヤガ上科の系統樹マンダラ」
第17話「アゲハチョウ上科の系統樹マンダラ」
第18話「タテハチョウ科の系統樹マンダラ」
第19話「タテハチョウ亜科とその仲間の系統樹マンダラ」
第20話「アゲハチョウ科の系統樹マンダラ」
第21話「アゲハチョウ属の系統樹マンダラ」
第22話「アオスジアゲハ属の系統樹マンダラ」
第23話「シロチョウ科の系統樹マンダラ」
第24話「シジミチョウ科の系統樹マンダラ」
第25話「双翅目の系統樹マンダラ」
第26話「鞘翅目の系統樹マンダラ」
第27話「オサムシ上科の系統樹マンダラ」
第28話「コガネムシ上科の系統樹マンダラ」
第29話「カブトムシ亜科の系統樹マンダラ」
第30話「膜翅目の系統樹マンダラ」
第31話「半翅目の系統樹マンダラ」
第32話「カメムシ下目の系統樹マンダラ」