870万種ともいわれる地球上の多様な生き物たち。
まだ私たちはそのごく一部しか知らないが、
実に多くのことが明らかにされてきてもいる。
進化生物学者である著者が、
世界中で長年撮りためた貴重な写真と文章で
思いのままに「生き物」を語る。
著者プロフィール
長谷川政美(はせがわ まさみ)
1944年生まれ。進化生物学者。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士(東京大学)。著書に『分子系統学』(岸野洋久氏との共著)『DNAに刻まれたヒトの歴史』(共に岩波書店)、『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』(ベレ出版)、『世界でいちばん美しい進化の教室』(監修、三才ブックス)、『共生微生物からみた新しい進化学』(海鳴社)、『進化38億年の偶然と必然』(国書刊行会)など多数。進化に関する論文多数。1993年に日本科学読物賞、1999年に日本遺伝学会木原賞、2005年に日本進化学会賞・木村資生記念学術賞など受賞歴多数。全編監修を務める「系統樹マンダラ」シリーズ・ポスターの制作チームが2020年度日本進化学会・教育啓発賞、2021年度日本動物学会・動物学教育賞を受賞。
7月のある日、近くの公園の東屋で休んでいると、アシダカグモという大型クモが現れた。カメラを構えたところ、一匹のハチが出てきていきなりそのクモに馬乗りになった瞬間、クモは動かなくなった(図24-1a)。ハチが針で刺したのだ。このハチはツマアカクモバチという。
その後、ハチはクモを運んだ(図24-1b)。途中段差があっても、自分よりはるかに重いクモを引き上げた(図24-1c)。その間クモは時々脚を動かすので、死んではいないことが分かる。
ハチは素早く林の中に入ってしまい、巣の位置は確認できなかったが、クモを適当な場所まで運んで、体内に卵を産みつけたと思われる。卵から孵った幼虫はクモを体内から食べて育つが、クモは死んではいないので、幼虫の食糧は新鮮な状態に保たれる。
このように獲物を巣に運びこむハチを「狩りバチ」という。これ以外に獲物を運ぶことなく、体内に卵を産みつけることによって、子供の食糧にする「寄生バチ」もいる。
クモバチ以外にも狩りバチはわれわれの身近にたくさんいる。図24-2は、ミカドトックリバチであるが、ツマアカクモバチを観察した翌日に同じ東屋で見かけたものであり、泥でトックリのような巣を作っていた。そこに麻酔した蛾の幼虫を入れてから卵を産みつけ、入り口を泥でふさぐはずである。
観察を続けようと翌日行ってみるときれいになくなっていた。たくさんのひとが訪れる所なので、危険なハチの巣は掃除のひとによって除去されてしまったようである。ただし、2日間で2種類の狩りバチを観察した期間、COVID-19の影響で公園を訪れるひとが非常に少なくなっていたおかげで、じっくりと観察できた。
ツマアカクモバチは自分よりもはるかに重い獲物を巣まで運ぶが、東南アジアなど熱帯地域に生息するエメラルドゴキブリバチ(図24-3)は、獲物のゴキブリを誘導して自分の巣まで歩かせる。
最初の一刺しでゴキブリの前脚を麻痺させたあと、2回目は脳に直接毒液を注入してその行動を支配する(1)。運動機能低下に陥ったゴキブリは、自発的に歩いたり逃げたりできなくなるが、ハチに触角を引っ張られると誘導されるまま、歩いてハチの巣に向かう。ハチの毒液には神経伝達物質のドーパミンといくつかのペプチドが含まれていて、哀れなゴキブリの行動を制御して、自分の巣まで歩かせるのだ(2)。
前回の連載『ウイルスという存在』の第15話で、寄生バチの話をした。その際の話題の中心は、主要な寄生バチのグループであるヒメバチ上科では、ハチのゲノムに内在化しているポリドナウイルス(PolyDNAvirus)がハチの寄生生活を成り立たせているということだった。寄生バチは、ツマアカクモバチなどの狩りバチのように獲物を巣まで運ぶのではなく、狙い定めた獲物に直接卵を産みつけるだけである。そこで孵化した寄生バチの幼虫は寄主(宿主)の幼虫を食べて成長する。その際、ツマアカクモバチの場合と同様、寄主は生きたままの状態で食べられる。
このように寄主の体内で育つ寄生バチの幼虫に対しては、寄主の免疫機構がそれを排除するように働くことが予想される。ところが、寄生バチに内在化したポリドナウイルスは、寄生バチを排除しようとする寄主の免疫機構から逃れる役割も果たしている。
さらに、ポリドナウイルスは寄主のホルモン系を攪乱して、蛹化することを妨げる。寄生バチの幼虫は成熟すると寄主の体表を破って出てきて蛹になるが、寄主が先に蛹になってしまうと体表が硬くなって出てこられなくなるからである。ポリドナウイルスは直接の宿主である寄生バチの幼虫が安定した新鮮な食糧庫の中で無事に成長できるように寄主をコントロールしているのだ。
寄生虫は寄主から栄養を横取りするが、寄主を殺してしまうことは少ない。ところが寄生バチは、最終的にはたいてい寄主を殺してしまう。しかも寄主を長く生かしたまま体内から食べてしまう。ヒトの目からは、このような寄生バチはとても残酷にみえる。チャールズ・ダーウィンもこのことを知っていて、友人への手紙の中で「慈悲深い全知全能の神が、ヒメバチ科の寄生バチを創造なされたとは、私にはとても思えない」と書いている。
狩りバチや寄生バチは、ハチの進化の中でどのように位置づけられるのだろうか。ハチの仲間は膜翅目(Hymenoptera)に分類されるが、この分類名「Hymenoptera」の「hymen」はラテン語で「処女膜」、「ptera」はギリシャ語で「翼」という意味であり、この仲間の昆虫が透き通った膜状の翅をもつことからきている。「膜翅目」という日本名もここからきている。最近「ハチ目」という呼び方が増えているが、ここでは特徴をうまく捉えた「膜翅目」を使うことにする。
膜翅目にはハチのほかにアリが含まれる。働きアリには翅がないが、雄アリと女王アリには透き通った膜状の翅がある(女王はあとで翅を失うが)。
膜翅目には15万3000種が記載されているが、これは生物界全体の中でも最も種数が多いといわれる昆虫全体の種数の16%にも達する。その膜翅目の3/4を占めるのが、寄生バチと狩りバチだという。これらのハチはそれだけ繁栄しているのだ。
図24-4に膜翅目の系統樹マンダラを示した。
この系統樹で最初に分かれたハバチ上科は、名前のように主に植物の葉を食べる。この系統は多くのハチの特徴である胸部と腹部の間のくびれがなく寸胴で、「広腰(ひろこし)亜目(Symphyta)」と呼ばれる。これは膜翅目共通祖先の特徴だった。その後、胸部と腹部の間のくびれが進化した。これが「細腰(ほそこし)亜目(Apocrita)」であり、現在の膜翅目の大部分はこちらに属する。
くびれができて何が変わったのだろうか。腹部を動かしやすくなり、昆虫などの狙った場所に産卵管をさし込むのに好都合になった。これに伴ってそれまではハバチのように主に植物食だったハチの食性に変化が起った。また、昆虫の翅は胸部についているが、くびれのおかげで胸部が腹部から自由に変形できるようになり、飛翔能力も向上した(1)。
その後、細くくびれた腰をもち、昆虫の幼虫などに産卵管をさし込むことができるヒメバチ上科が生まれた。細腰亜目の中で最初に分かれたのが、ヒメバチ上科であり、この分岐は三畳紀(2億5200万年前~ 2億130万年前)に起った。ヒメバチ上科にはヒメバチ科とコマユバチ科という大きな科が含まれ、あわせると膜翅目全体の種数の半数を超える。この仲間のほとんどが寄生バチであり、昆虫やクモなどの節足動物に寄生する。
さらにその後、スズメバチやミツバチなど毒針をもったハチが現れた。産卵管は卵を産むという機能を捨て、今回の冒頭に出てきたクモバチのように毒針として獲物に麻酔をかけたり、護身用に使う武器になった。その中からクモバチ上科、セナガアナバチ科、アナバチ科などの狩りバチが進化した。また、アリも毒針をもったハチのグループの中から進化した。
時代がくだり1億4500万年前から始まる白亜紀に入ると、ミツバチやマルハナバチなど餌として花粉や蜜を蓄えるハナバチ類が現れた。このことは、第23話で植物と昆虫の共進化として取り上げた。また、ハナバチ類、アリ上科、スズメバチ上科などの中から「真社会性」が進化した。真社会性とは、集団を作って生活し、女王と働きバチ(働きアリ)などの階級分化があり、後者のように繁殖に関与しない階級を含むものをいう。
働きバチや働きアリは自分の子供を作らず、妹や弟を育てることに献身する。なぜそのような利他的な行動が進化したのであろうか。このことは長い間進化生物学の謎であったが、1964年にイギリスのウィリアム・ドナルド・ハミルトン(図24-5)がはじめてはっきりとした手掛かりを与えた(4)。
彼はハチやアリなど膜翅目昆虫の独特の遺伝様式に注目した。たいていの動物はオス、メスとも図24-6aのように、父親と母親から受け継いだ染色体を2セットもっている。これを両性二倍体という。ところが、膜翅目ではメスは二倍体だが、未受精卵から生まれるオスは母親由来の染色体しかもたない一倍体(半数体)になっている(図24-6b)。このことを半倍数性というが、メスにとっては自分の子供との血縁度は0.5だが、姉妹との血縁度は0.75、兄弟との血縁度は0.25になる。
従って、メスは、自分の子供を産むよりも、妹たちの世話をするほうが自分の遺伝子をたくさん残せることになる。働きバチや働きアリはすべてメスであり、血縁度0.75の自分の妹たちの世話をする。血縁度0.25の弟の世話もすることになるが、自分と同じ遺伝子を残すという点からは、なるべく弟よりも妹を育てることが望ましい。
実際ハチやアリではオスはメスにくらべるとわずかしか育たない。もちろん働きバチが意識して行動するわけではなく、このような行動を採ることが結果的に自分の遺伝子を残すことになるために進化したのである。利他的行動を支配する遺伝子は、そのような行動によって次世代に伝わる可能性が高まるということで、これを血縁選択説という。
ハミルトンの1964年の論文は52ページにもおよぶ、分かりやすいとはいえないもので、最初にそれを査読した2人には理解できなかった。そこで3人目の審査者として指名されたジョン・メイナード=スミス(図24-5)は、その真価をすぐに理解して掲載を許可した。ただし、この2人の20世紀の偉大な進化学者の間で起った人間ドラマは、文献(5)に詳しい。
私は20年後の1984年に、イギリス・サセックス大学のメイナード=スミスの研究室に一ヶ月ほど滞在したことがある。ある晩彼はパブで、なぜこんなに簡単なことを自分は思いつかなかったのか、と悔やんでいた。彼の先生であるJ.B.S.ホールデンは、かつてロンドンのパブで、「2人の兄弟(血縁度0.5)のためなら、私は自分の命を投げ出す用意がある」と叫んだことがあったという。メイナード=スミス自身もこの問題に取り組んでいた。分かってみると簡単なことだが、最後の一歩を踏み出すことがなかなか難しいのだ。
ハチやアリなど膜翅目は独特の遺伝様式をもつために、利他的行動が進化しやすいということがあるが、両性二倍体の等翅目のシロアリでも同じような社会性が進化している。その後、シロアリについても血縁選択説が成り立つという研究が日本で行なわれた(6)。
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ブックデザイン:西田美千子
イラスト:ちえちひろ
編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)
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編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)
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※電子書籍あり。
ブックデザイン:垣本正哉・堂島徹(D_CODE)
編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)
<バックナンバー>
・第1話「コウモリの自然史」
・第2話「特異なコウモリ『アブラコウモリ』」
・第3話「海流と生き物の分布」
・第4話「海を越えた動物の移住」
・第5話「ヒグマの自然史」
・第6話「クマ科の進化」
・第7話「動物の長距離移動」
・第8話「スズメ目の進化」
・第9話「イヌの起源」
・第10話「ウマの起源」
・第11話「ネコの起源」
・第12話「動物のからだの模様の形成」
・第13話「光を求めて」
・第14話「酸素濃度の極端な増減」
・第15話「木材を食べるタマムシ」
・第16話「木材を食べる動物たち」
・第17話「物質循環をあやつる小さな生き物」
・第18話「退化と中立進化」
・第19話「目的なき性選択」
・第20話「鳥が飛べるようになったのは性選択のため?」
・第21話「音楽の起源」
・第22話「節足動物の進化」
・第23話「オスとメスの出会い」
・第24話「無慈悲なハチと慈悲深いハチ」
・第25話「チョウとガの進化」
・第26話「遺存種」
・第27話「植物の遺存種」
・第28話「クジラの進化」
・第29話「思い出に残る生き物たち」
・第30話「ネアンデルタール人との出会いに思いを馳せる」