Creature

 

870万種ともいわれる地球上の多様な生き物たち。

まだ私たちはそのごく一部しか知らないが、

実に多くのことが明らかにされてきてもいる。

進化生物学者である著者が、

世界中で長年撮りためた貴重な写真と文章で

思いのままに「生き物」を語る。



著者プロフィール
長谷川政美(はせがわ まさみ)

1944年生まれ。進化生物学者。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士(東京大学)。著書に『分子系統学』(岸野洋久氏との共著)『DNAに刻まれたヒトの歴史』(共に岩波書店)、『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』(ベレ出版)、『世界でいちばん美しい進化の教室』(監修、三才ブックス)、『共生微生物からみた新しい進化学』(海鳴社)、『進化38億年の偶然と必然』(国書刊行会)など多数。進化に関する論文多数。1993年に日本科学読物賞、1999年に日本遺伝学会木原賞、2005年に日本進化学会賞・木村資生記念学術賞など受賞歴多数。全編監修を務める「系統樹マンダラ」シリーズ・ポスターの制作チームが2020年度日本進化学会・教育啓発賞、2021年度日本動物学会・動物学教育賞を受賞。

 

進化の目で見る生き物たち


第5話

ヒグマの自然史

文と写真 長谷川政美

私は野生のヒグマ(Ursus arctos)に3回だけ遭遇している。最初は、アラスカのデナリ山麓で2㎞ほど離れたところを歩く母と子だった(図5-1)。アラスカの雄大な自然の中を2頭で悠然と歩く姿は感動的だった。
次に遭遇したのは、知床岬を回る遊覧船の中から岬近くで見た海岸にいたオスであった(図5-2)。このときは、オスの大きさに圧倒された。その遊覧船で1時間後に3回目の遭遇があったが、それは海岸にいるメスだった。知床のヒグマの生息密度の高さに驚いた。

図5-1 デナリ山麓を歩くメスのアラスカヒグマとその後を追う子供。2005年6月18日、アラスカ・デナリ国立公園にて。写真をクリックすると拡大表示されます。

図5-2 エゾヒグマ。2007年5月1日、北海道・知床半島の岬付近にて。

ヒグマはユーラシアから北アメリカまで北半球に広く分布するが、ホッキョクグマ(U. maritimus)とならんでからだの大きさでは現生のクマの中では最大である。たくさんの亜種に分類されるが、体重が680 kgを超えることもあるコディアックヒグマ(図5-3)のように巨大なものから、100 ~160 kgのシリアヒグマ(図5-4)やオスでも平均135kgのパキスタンのヒマラヤヒグマのように比較的小さなものまで大きさはさまざまである(1)。

図5-3 アラスカのコディアック島に生息するコディアックヒグマ(Ursus arctos middendorffi)。ヒグマの最大亜種とされている。1989年7月3日、ニューヨーク・ブロンクス動物園にて。

図5-4 中近東に生息するシリアヒグマ(Ursus arctos syriacus)。1991年6月30日、オーストリア・ウィーンのシェーンブルン動物園にて。

近年の分子系統学の発展により、世界各地のヒグマの集団間の遺伝的な関係が解明されつつある。図5-5は、ミトコンドリアDNAの解析によって描かれたヒグマの系統樹マンダラである。世界各地のさまざまな大きさや色彩のヒグマが共通の祖先から進化してきたことが分かる。

図5-5 ミトコンドリアDNAの塩基配列データで描かれたヒグマの系統樹マンダラ。分岐の順番と年代は文献(2)による。ただし、写真の個体が遺伝的にそれぞれのクレード(分類上のグループ)に属している保証はない。また、それぞれの亜種名は暫定的なものである。エゾヒグマの亜種名は従来通りU. arctos yesoensisとしたが、この図で分かるように、道南、道東、道央の集団の遺伝的起源は別々だから本当はこの亜種名はふさわしくない。本州ヒグマの頭骨写真は、群馬県上野村で見つかり、古代DNA解析に用いられた個体のものである。本州ヒグマの頭骨写真は安藤梢氏、カムチャッカヒグマとアムールヒグマの写真は小宮輝之氏の提供による。ヒマラヤグマ(Zoo Hluboka)の写真グリズリーの写真シトカヒグマの写真は、それぞれリンク先の画像を使わせていただいた。 図をクリックすると拡大表示されます。

この系統樹には含まれていないが、かつて北アフリカは広大な森林に覆われていてたくさんのアトラスヒグマと呼ばれるヒグマの亜種が棲んでいた(3)。乾燥化とヒトによる森林破壊が進み、さらに古代ローマの剣闘などの見世物のために殺されるなどして衰退し、1870年頃に絶滅した。南アメリカの絶滅した動物マクラオケニアの系統的位置づけで前回紹介した古代DNA解析の技術によって、絶滅前にはアトラスヒグマの集団内の遺伝的多様性が高かったことが明らかになった(4)。
図5-5の中で特筆すべきことは、ヒグマとは別種とされるホッキョクグマが、ヒグマの中でも特に、アラスカ南東部のABC諸島(Admiralty島、Baranof島、Chichagof島の頭文字からとった)に生息するシトカヒグマ(この地方の中心都市であるシトカからきた名前)に近縁であるということである。
このことは2000年頃から指摘されていたことである(5)。世界各地のヒグマの地域集団の一つから、形態的にも生態的にも非常に変わった別種であるホッキョクグマが進化したというこの説は、驚きをもって迎えられた。ところが、ミトコンドリアDNAは母親だけからしか子供に伝わらないため、異種間で交雑が起った場合に種の壁を超えてほかの種に広まってしまうことがあるのだ。

◎上皇陛下のハゼのご研究

上皇陛下が天皇ご在位中に行われたハゼのご研究にこの問題に関連したものがある。私もこのご研究の一部をお手伝いさせていただいたので、ここでご紹介させていただこう(6)。
日本近海にはキヌバリとチャガラというハゼ科キヌバリ属の近縁な2種が分布している。それぞれの種には太平洋と日本海の集団がある。最初に行われたミトコンドリアDNAによるご研究では、図5-6の左側のような系統樹になった。キヌバリは一つにまとまるが、チャガラは系統的に一つにまとまらず、日本海のチャガラは同種の太平洋チャガラよりもキヌバリに近縁ということになったのである。

図5-6 ハゼ科キヌバリ属の2種、キヌバリとチャガラの間の系統関係。キヌバリは日本海側と太平洋側とで縦縞の数が異なるが(写真の個体は日本海のもので、太平洋のものは縦縞が1本少ない)、チャガラでは外見上日本海と太平洋のものが区別できないので、同じ写真を用いた。右の系統樹の中の矢印は、キヌバリから日本海チャガラにミトコンドリアの遺伝子転移が起ったことを示す。

長年にわたり形態をもとにした魚類分類学のご研究をやってこられた陛下にとっては、これは大きな問題であった。キヌバリに関しては太平洋集団と日本海集団は縦縞の数など区別できる形態的な特徴があるが、チャガラに関してはそのようなものがないのである。形態的に区別できないチャガラの2つの集団のうちの一方の日本海集団が遺伝的にキヌバリに近いということは、どのように解釈すればよいのであろうか。
先に述べたように、ミトコンドリアDNAは母性遺伝するので、これによって描かれた系統樹は母親の系統を示しているに過ぎない。進化の詳しい様相を明らかにするには、両親から伝わる核DNAもあわせて解析しなければならないということで、3つの核遺伝子の解析が行なわれた。そのうちの1つの遺伝子の系統樹は、ミトコンドリアと同様の図5-6の左側のようになったが、残りの2つは右側、つまり日本海と太平洋のチャガラは互いに近縁であるという常識的な系統樹になった。
このことは次のように解釈できる。種としての系統樹では、図5-6の右側のように最初キヌバリとチャガラの種分化が起った。その後、日本海のチャガラと太平洋のチャガラが分かれた後で、日本海チャガラのオスとキヌバリのメスの間で交雑が起った。その結果、キヌバリのミトコンドリアと核DNAの一部が日本海チャガラの集団に持ち込まれた。
通常は交雑が起って別種の遺伝子が持ち込まれても、交配を繰り返すうちに次第にその効果は薄まってしまうことが多いが、ミトコンドリアは母性遺伝するためにキヌバリのミトコンドリアをもったメスの系統が代々メスの子供を残し続けると、日本海チャガラ集団の中にあった本来のチャガラのミトコンドリアに代わって、キヌバリ由来のミトコンドリアが大多数を占めてしまう可能性があるのだ。これを遺伝子転移(Introgression)というが、たまたま交雑が起ったときの集団が小さいと遺伝子転移が起りやすいのである。

◎ホッキョクグマの起源

ヒグマとホッキョクグマについて核ゲノムの大規模な解析が行なわれて、ここでも似たようなことが起った可能性があることが指摘された(7)。つまり、ヒグマとホッキョクグマが種分化したあとで、ABC島ヒグマ(シトカヒグマ)の祖先集団のメスとホッキョクグマのオスとの交雑によってシトカヒグマのミトコンドリアがホッキョクグマの集団に持ち込まれたということである。
しかしながら、核ゲノムの中の個々の遺伝子の系統樹を詳しく解析すると、そのような単純なシナリオではなく、ホッキョクグマの核遺伝子の中にもヒグマのもつ多様性の中に含まれる遺伝子が多いことが示唆された(8)。いずれにしても、ホッキョクグマは交雑などを通じてごく最近までヒグマと深く関わり合いながら進化してきたことは確かである。
ホッキョクグマはヒグマとは生態もかたちも大きく異なるが、このように違った2種が意外と近縁なのである。

◎本州にいたヒグマ

現在日本ではヒグマは北海道でしか見られないが、1万2000年よりも前の更新世には本州にもヒグマがいたことが化石から分かっている。このヒグマは現在北海道に生息するエゾヒグマにくらべてかなり巨大なものであった。更新世の本州にはこのほかにも、絶滅したナウマンゾウ(図5-7)やオオツノジカなど巨大な哺乳類がたくさん生息していた。

図5-7 更新世の日本にいたナウマンゾウ(Palaeoloxodon naumanni)。2014年2月8日、倉敷市立自然史博物館。

最近、山梨大学の瀬川高弘らのグループは、3万2500年前の本州ヒグマの化石の古代DNA解析を行った(2)。彼らは化石からミトコンドリアDNAを採取して分析し、このヒグマと世界各地のヒグマとの遺伝的な関係を調べたのである(図5-5)。この本州ヒグマの頭骨は図の中に示されているが、メスと推定されるにもかかわらず、現生の最大級のオスのエゾヒグマなみの巨大なものであった。
ミトコンドリアDNAの解析からは、道南のエゾヒグマがこの本州ヒグマに一番近縁であることが分かった。北海道のエゾヒグマは系統的にまとまったグループを作るのではなく、道南、道東、道央のヒグマはそれぞれ異なる由来をもつ。一番近縁なグループを姉妹群というが、本州ヒグマがその姉妹群である道南エゾヒグマから分かれたのがおよそ15万8000年前、またこのグループがその姉妹群である北アメリカのグリズリーから分かれたのがおよそ20万3000年前と推定された。
これまで本州ヒグマの起源に関しては、朝鮮半島から渡来したと考えられ、またエゾヒグマは北海道の北に位置するサハリンから来たと考えられてきた。このように北海道と本州のヒグマの起源を別々と考えてきた最大の理由は、北海道と本州を隔てる津軽海峡を動物相の分布境界線とするブラキストン線の存在であった。
258万年前~1万2000年前の更新世を通じて氷河期が繰り返され、そのたびに海水面が低下して図5-8に示すように朝鮮半島から対馬海峡を越えて本州に動物が渡ったり、大陸からサハリンを経由して北海道に渡ることができる状況が度々生まれた。一方、津軽海峡の水深は深いため、そのようなときでも容易には渡ることができなかったと考えられてきた。そのためにブラキストン線が設けられているのである。

図5-8 本州ヒグマが渡来した経路に関する2つの仮説(2)。瀬川高弘氏提供。

ところがおよそ14万年前の海水準低下期にナウマンゾウとオオツノジカが本州から北海道へ渡った証拠があるという。瀬川らの解析結果からは、ヒグマもまた大陸からサハリン経由で北海道に来たものが、本州にいたナウマンゾウ(図5-7)やオオツノジカがブラキストン線を越えて北海道に渡った頃に、逆に北海道から本州に渡った可能性が高いと考えられる。
一方、化石記録からは最近チバニアン(77万4000年前~12万9000年前)と命名された中期更新世の34万年前以降、ヒグマが本州に広く分布していたことが知られている。ところが今回解析された本州ヒグマはその姉妹群である道南エゾヒグマからおよそ15万8000年前に分かれたと推定されている。このことから今回解析された本州ヒグマは34万年前の本州ヒグマとは別系統だと考えられる。従って、ヒグマは本州に少なくとも2回渡ってきたことになる。
つづく


【引用文献】
1. https://en.wikipedia.org/wiki/Subspecies_of_brown_bear
2. Segawa, T., Yonezawa, T., Mori, H., et al. (2021) Ancient DNA reveals multiple origins and migration waves of extinct Japanese brown bear lineages. Roy. Soc. Open Sci. 8, 210518.
3. ラデク・マリー(2021)『人類が滅ぼした動物の図鑑』的場知之訳、丸善出版.
4. Calvignac, S., Hughes, S., Tougard, C., et al. (2008) Ancient DNA evidence for the loss of a highly divergent brown bear clade during historical times. Mol. Ecol., 17, 1962-1970.
5. Shields, G.F., Adams, D., Garner, G. et al. (2000) Phylogeography of mitochondrial DNA variation in brown bears and polar bears. Mol. Phylogenet. Evol. 15, 319-326.
6. Akihito, Akishinonomiya, F., Ikeda, Y., et al. (2016) Speciation of two gobioid species, Pterogobius elapoides and Pterogobius zonoleucus revealed by multi-locus nuclear and mitochondrial DNA analyses. Gene 576, 593-602.
7. Hailer, F., Kutschera, V.E., Hallström, B.M. et al. (2012) Nuclear genomic sequences reveal that polar bears are an old and distinct bear lineage. Science 336, 344-347.
8. Nakagome, S., Mano, S., Hasegawa, M. (2013) Comment on “Nuclear genomic sequences reveal that polar bears are an old and distinct bear lineage”. Science 339, 1522.



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編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)


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編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)





<バックナンバー>
第1話「コウモリの自然史」
第2話「特異なコウモリ『アブラコウモリ』」
第3話「海流と生き物の分布」
第4話「海を越えた動物の移住」
第5話「ヒグマの自然史」
第6話「クマ科の進化」
第7話「動物の長距離移動」
第8話「スズメ目の進化」
第9話「イヌの起源」
第10話「ウマの起源」
第11話「ネコの起源」
第12話「動物のからだの模様の形成」
第13話「光を求めて」
第14話「酸素濃度の極端な増減」
第15話「木材を食べるタマムシ」
第16話「木材を食べる動物たち」
第17話「物質循環をあやつる小さな生き物」
第18話「退化と中立進化」
第19話「目的なき性選択」
第20話「鳥が飛べるようになったのは性選択のため?」
第21話「音楽の起源」
第22話「節足動物の進化」
第23話「オスとメスの出会い」
第24話「無慈悲なハチと慈悲深いハチ」
第25話「チョウとガの進化」
第26話「遺存種」
第27話「植物の遺存種」
第28話「クジラの進化」
第29話「思い出に残る生き物たち」
第30話「ネアンデルタール人との出会いに思いを馳せる」