ヒトとチンパンジーの共通祖先は600万年前に生きていた。
この地球上に、ヒトとゾウの共通祖先は9,000万年前、
ヒトとチョウの共通祖先は5億8,000万年前、
ヒトとキノコの共通祖先は12億年前に生きていた。
15億年前には、ヒトとシャクナゲの共通祖先が生きていたという…。
著者プロフィール
長谷川政美(はせがわ まさみ)
1944年生まれ。進化生物学者。復旦大学生命科学学院教授(中国上海)。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士(東京大学)。著書に『分子系統学』(岸野洋久氏との共著)『DNAに刻まれたヒトの歴史』(共に岩波書店)『新図説 動物の起源と進化―書きかえられた系統樹』(八坂書房)『遺伝子が語る君たちの祖先―分子人類学の誕生』(あすなろ書房)など多数。1993年に日本科学読物賞、1999年に日本遺伝学会木原賞、2005年に日本進化学会賞・木村資生記念学術賞など受賞歴多数。
ここでヒトの祖先をたどる旅を一休みして、鳥類の祖先をたどってみましょう。鳥類の祖先をたどると恐竜の進化につながりますから、僕たちの祖先の生活にも深くかかわってきます。
鳥類の最大の特徴は空を飛ぶ能力(図12-1)です。鳥類は、空を飛ぶことによって独自の生態的地位を築いて繁栄し、種数は哺乳類の2倍にも達します。また、哺乳類と同様に体温が代謝熱で維持される内温性を獲得し、自律的に体温を制御できます(恒温性)。このため体温が外部環境によって決まる外温性動物よりも広範囲の環境に適応でき、外温性の爬虫類が住めない極地にも進出しています。鳥類にはさらに哺乳類よりもすぐれた点があります。それは気嚢(きのう)を使った呼吸システムです。
標高およそ4,500メートルの青海チベット高原で、インドガンの親子に出会いました(図12-2)。冬をインドで過ごした彼らは、春になるとヒマラヤの標高1万メートルの上空を飛んで青海チベット高原にやってきて繁殖します。秋になると彼らは再びヒマラヤを越えてインドに戻るのです。このような往復の途中彼らは標高8,848メートルのチョモランマ(エベレスト)よりもさらに何百メートルも上の空気の薄いところを飛ぶのです。僕はこの写真を撮った4,500メートルあたりでさえも、高山病に悩まされましたし、チョモランマの頂上まで酸素ボンベなしで登れる人はまれです。ところがインドガンはそれよりも高いところを平気で飛べるのです。それを可能にしているのが「気嚢」です(図12-3)。
僕たち哺乳類は、先が行き止まりになった袋状の肺に空気を取り込んだあと、それを吐き出します。肺が膨らんだり縮んだりすることによって、空気が肺を出入りします。その際に肺を流れる血液は運んできた二酸化炭素を酸素と交換します。しかし、これでは吸い込んだ新鮮な空気が肺のなかの古い空気と混ざってしまいます。この点で哺乳類の呼吸システムは効率がよくありません。
一方、鳥類では肺の前部と後部に気嚢という付属器官がつながっています。新鮮な空気はまず後気嚢に取り込まれます(a 吸気)。後気嚢から新鮮な空気が肺に供給されると、肺のなかの空気が前気嚢に押し出されます(b 排気)。こうした貫流式の換気法だと、肺には常に新鮮な空気が留まります。鳥類にはこのような気嚢があって、効率的な呼吸が可能になっています。古生物学者のピーター・ウォードは、このようなシステムは大気の酸素濃度が減少した時代に鳥類の祖先が進化させたと考えています。
2億年前頃、大気の酸素濃度が非常に減少しました。それより前の三畳紀前期には哺乳類型爬虫類という僕たち哺乳類の祖先にあたる動物が栄えていました。
リストロサウルス(図12-4)がその1つですが、この化石はユーラシア、アフリカ、南極など世界中のいろんな地域から見つかるので、その頃の大陸がパンゲアという超大陸としてまとまっていたことを示す証拠とされています。それは恐竜全盛よりも前の時代でした。
ところが、三畳紀が進むにつれて次第に哺乳類型爬虫類の勢力が衰え、代わりに恐竜が栄えるようになってきたのです。実はその間、地球大気の酸素濃度が次第に低くなってきました。2億年前のジュラ紀が始まる頃に酸素濃度は極小になります。
リストロサウルスなどの哺乳類型爬虫類が、一番栄えていたのは三畳紀よりも前の古生代ペルム紀でした。今からおよそ2億9,900万年前~2億5,100万年前で、地球の歴史上最も酸素濃度が高かった頃です。つまり、哺乳類型爬虫類は高酸素濃度に適応した動物だったのです。ところが三畳紀を通じて大気中の酸素濃度が減少し、彼らにとって住みにくい環境になってきたのです。
なぜペルム紀で大気中の酸素濃度が極大になり、ジュラ紀で極小になったのでしょうか? それを説明するにはペルム紀の前の石炭紀にまでさかのぼらなければなりません。石炭紀はその名のとおり、陸上にはヒカゲノカズラ、木生シダ、トクサ、ソテツシダなど巨大な樹木が生い茂り、それが枯れて地中に蓄積し石炭になりました。
現在でもたくさんの樹木が生えていますが、1億年後に文明をもった生物が現れたとしても(残念ながらヒトがその頃まで生き延びているとは考えにくい)、それが石炭として掘り出されることはないでしょう。なぜなら、現在の地球上にはたくさんの菌類が進化していて、枯れた樹木を分解してしまうからです。それによって物質循環が起っていますが、石炭紀やペルム紀の時代にはまだそのような菌類が十分に進化していなかったのです。
木材にはリグニンという化学物質が含まれていますが、これを分解できる能力は菌類の子嚢菌の一部と坦子菌で、随分あとの時代に進化したのです。そのために、当時の枯れた木材は分解されることなく地中に蓄積して石炭になりました。
植物は光合成する際に二酸化炭素を消費して酸素を出しますが、枯れた樹木が分解されるときには逆に酸素を消費して二酸化炭素が放出されます。木材が分解されずに地中に蓄えられるということは、大気中の酸素が消費されずにたまり続けるということです。こうして石炭紀とペルム紀を通じて膨大な量の木材が地中に蓄積し、大気中の酸素濃度は上昇を続けました。ペルム紀初期には酸素濃度は35%にも達しましたが、現在21%ですから、その1.7倍ほどだったことになります。その頃が哺乳類の祖先にあたる哺乳類型爬虫類の全盛時代だったのです。
酸素濃度が上昇すると逆に二酸化炭素濃度は減少します。炭素が地中に蓄積して大気中に戻ってこないからです。二酸化炭素は温室効果ガスとして知られていますが、これが減少したことによって地球の温度が下がり、大規模な氷河が形成されました(図12-5)。
二酸化炭素濃度が低くなるということは、植物にとっては光合成の材料がなくなるということですから、気温の低下も追い打ちとなって、多くの植物が絶滅しました。このように植物のバイオマスが少なくなり、酸素量も次第に減少しました。
石炭紀とペルム紀を通じて大量の木材が蓄積しましたが、そのことがリグニンを分解し、酸素を消費して二酸化炭素を放出する菌類の進化を誘発したと考えられます。ペルム紀初期には35%にも達していた酸素濃度が三畳紀を通じて減少し、ジュラ紀が終わる2億年前には12%になりました。現在の半分近い酸素濃度ですから、高酸素濃度の大気に適応していた哺乳類型爬虫類にとってはとても厳しい時代だったのでしょう。彼らの大部分はこの頃までに絶滅してしまいました。
三畳紀後期からジュラ紀にかけて衰退した哺乳類型爬虫類に代わって陸地を支配したのが恐竜でした。それではなぜ恐竜が繁栄できたのでしょうか? 前出のウォードによると、それが現在の鳥類がもっている気嚢だというのです。酸素濃度が減少した三畳紀に恐竜が気嚢を用いた効率のよい呼吸システムを進化させたのです(図12-6)。
恐竜には「竜盤目」と「鳥盤目」という2つのグループがありましたが、気嚢が両方のグループで進化したのかどうかは分かりません。でも少なくとも鳥類の祖先であった竜盤目では気嚢が進化したようです。気嚢そのものは化石としては残らないので直接確認できないのですが、鳥類において気嚢を入れる空洞を形成する骨の形状が、竜盤目恐竜の骨にも見られるのです。
2億年前から始まるジュラ紀から6,600万年前に幕を閉じる白亜紀までの長い期間、恐竜は陸上の支配者としての地位を占め続けたのですが、恐竜が哺乳類型爬虫類にとって代わることを可能にしたのが気嚢だったのです。酸素濃度はジュラ紀前期まで低く、ジュラ紀後期から白亜紀を通じて次第に増加します。
気嚢をもった竜盤目恐竜から、現在確認されている中で最古の鳥類である始祖鳥が進化しました(図12-7)。
始祖鳥は、ジュラ紀後期の約1億5,000万年前に生きていました。また中国では白亜紀初期の1億3,100万年前頃に孔子鳥という長い尾羽をもった鳥がいました(図12-8)。
始祖鳥と孔子鳥はどちらも、現在の鳥のように自由に空を飛ぶことはできなかったと考えられています。その頃の空の支配者は空飛ぶ爬虫類と称される「翼竜」でした(図12-9)。
しかし白亜紀の後期になると翼竜の多くがすがたを消し、6,600万年前に最終的に絶滅して、鳥類全盛の時代を迎えるのです。
鳥類の特徴は羽毛をもっていることですが、最近多くの恐竜が羽毛をもっていたことが分かってきました(図12-10)。
羽毛はもともと体温を保つために進化したと考えられますが、鳥類はこれを使って空を飛べるようになったのです。生物進化において、このように転用された形質の元の機能を「前適応」と言います。生物は、ありあわせのものを最大限有効に使うように進化しているのです。
ジュラ紀、白亜紀と1億3,000万年以上の長きにわたって恐竜の全盛時代が続き、そのあいだ僕たちの祖先の哺乳類は夜行性の小型動物としてトガリネズミのような生活を余儀なくされました。
恐竜が現れる前の哺乳類の祖先は「哺乳類型爬虫類」と呼ばれ、陸上で支配的な地位を築いていたのですが、三畳紀を通じて大気中の酸素濃度が減少し、彼らにとって次第に住みにくい環境になってきたことは先に述べました。そのような環境に適応して、哺乳類型爬虫類にとって代わったのが恐竜だったわけです。
恐竜の陰で細々と暮らしていた僕たちの祖先にとって、恐竜が活動する昼間を避けて夜の生活に適応するためには、解決しなければならない問題がありました。それは外温性です。トカゲは体温が外気温とともに変動するため、温度が下がる夜間は活動できず、朝になってから日光浴をして体温を上げてやっと活動できるようになります。僕たちの祖先もこのような外温性だったのでしょう。そのため、夜行性の生活に追いやられたことは大変な試練だったはずです。
僕たちの祖先は、なんとかそれに適応するために、内温性を進化させました。その結果、寒い夜間でも内温性により体温を高く保って活動ができるようになったのです。体温を保つための体毛もその頃に進化しました。このような性質は、恐竜絶滅後にさまざまな環境に進出していく際にも役立ったのでした。
*もっと詳しく知りたい人に最適の本:
長谷川政美著『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』 (ベレ出版)。 本連載に大幅な加筆をして、新たな図版を掲載したものです。
扉絵:小田 隆
ブックデザイン:坂野 徹
【バックナンバー】
第1話 旅のはじまり
第2話 ヒトに一番近い親戚
第3話 ニホンザルとヒトの共通祖先
第4話 マーモセットとヒトの共通祖先
第5話 メガネザルとヒトの共通祖先
第6話 ネズミとヒトの共通祖先
第7話 クジラの祖先
第8話 イヌとヒトの共通祖先
第9話 ナマケモノとヒトの共通祖先
第10話 恐竜の絶滅と真獣類の進化
第11話 卵を産んでいた僕たちの祖先
第12話 恐竜から進化した鳥類
第13話 鳥類の系統進化
第14話 カエルとヒトの共通祖先
第15話 ナメクジウオとヒトの共通祖先
第16話 ウミシダとヒトの共通祖先
第17話 クラゲとヒトの共通祖先
第18話 キノコとヒトの共通祖先
第19話 シャクナゲとヒトの共通祖先
第20話 旅の終わり
*もっと詳しく知りたい人に最適の本:
長谷川政美著『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史 (BERET SCIENCE)
』 (ベレ出版)。 本連載に大幅な加筆をして、新たな図版を掲載したものです。
扉絵:小田 隆
ブックデザイン:坂野 徹
*最新の鳥類系統樹マンダラポスター:
長谷川政美監修、小田隆画『系統樹マンダラ【鳥類=恐竜編】両面特大ポスター
(発行・発売:キウイラボ)
【表】クリックすると拡大します
監修:長谷川政美(進化生物学者)
イラストレーション:小田 隆
アートディレクション:木村裕治
デザイン:後藤洋介(木村デザイン事務所)
ダイアグラム:坂野 徹(金沢美術工芸大学)
プリンティングディレクター:熊倉桂三(山田写真製版所)
編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)