MANDALA

 

ヒトとチンパンジーの共通祖先は600万年前に生きていた。

この地球上に、ヒトとゾウの共通祖先は9,000万年前、

ヒトとチョウの共通祖先は5億8,000万年前、

ヒトとキノコの共通祖先は12億年前に生きていた。

15億年前には、ヒトとシャクナゲの共通祖先が生きていたという…。



著者プロフィール
長谷川政美(はせがわ まさみ)

1944年生まれ。進化生物学者。復旦大学生命科学学院教授(中国上海)。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士(東京大学)。著書に『分子系統学』(岸野洋久氏との共著)『DNAに刻まれたヒトの歴史』(共に岩波書店)『新図説 動物の起源と進化―書きかえられた系統樹』(八坂書房)『遺伝子が語る君たちの祖先―分子人類学の誕生』(あすなろ書房)など多数。1993年に日本科学読物賞、1999年に日本遺伝学会木原賞、2005年に日本進化学会賞・木村資生記念学術賞など受賞歴多数。

 

僕たちの祖先をめぐる15億年の旅


第2話

ヒトに一番近い親戚

文と写真 長谷川政美

図2-1 1871年にイギリスの雑誌に載ったダーウィンをからかった漫画。チンパンジーのからだにダーウィンの顔をつけたもの。

◎あらゆる生物は一つの共通祖先から進化した

イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンは、1859年に「種の起源」という本を出版しました。「種」は「たね」ではなく「しゅ」と読みます。生物はすべてどれかの種に属します。ヒトは、肌の色が違っていてもみんな「ヒト」という種に属しますし、イヌは小さなチワワも大きなセントバーナードもみんな「イヌ」という種に属します。
ダーウィンの時代のイギリスでは、人々はキリスト教を信じていましたが、当時のキリスト教では、種は神様が作られたものであり、変化しないと教えられていました。
イヌは家畜ですから、ヒトが品種改良したためにいろいろなものがいるのだということは当時の人たちも分かっていましたが、野生の動植物の種は神様が作られたときのままであると考えられていたのです。
ところが、ダーウィンはビーグル号という船に乗って世界中をまわって各地の動植物を観察した結果、種が変わらないという考えでは、多くの事実が説明できないことに気がつきました。 彼はビーグル号で航海を続けているあいだに、それぞれの土地にいる生物が少しずつ違った種に変わっていくことに気づいたのです。
例えば、東太平洋の赤道下にあるガラパゴス諸島はたくさんの島から成り立っていますが、それぞれの島にいるフィンチという名前のアトリの仲間の鳥は、その姿形が島ごとに違っていたのでした。
航海からイギリスに戻ったダーウィンは、この発見についていろいろと考えたあげく、次のような結論にたどり着きました。
「これらの違った種類のフィンチは、
 最初にいた祖先フィンチがそれぞれの島に分布を広げ、
 島ごとに独自に進化したものである」
その後、彼はさらに考えを進めて、ある重大なことを思いつきます。
「あらゆる生物は1つの祖先から進化したものである」
ダーウィンは、この思いつきを20年ほどのあいだ発表しませんでした。なぜなら、当時のキリスト教の教えに反する内容だったために、世間から批判されることを恐れたのです。
20年経ってやっと発表したのが、『種の起源』です。ダーウィンは、この本のなかではヒトの進化について触れていませんが、種が進化するという主張は当然ヒトも進化によって生まれたことを意味するわけですから、たくさんの批判をあびました。
冒頭の絵(図2-1)は、当時の雑誌に載った風刺漫画で、「ダーウィンが、ヒトはチンパンジーから進化したと主張している」とからかったものです。ダーウィン自身は、ヒトがチンパンジーから進化したと述べたことはありません。彼の主張はあくまでも、「ヒトとチンパンジーが同じ祖先から進化した」ということなのです。ですから、その祖先からヒトが進化したのと同じように、チンパンジーも進化したということなのです。
彼は、さらに大切なことを言っています。
「一つの動物が他の動物よりも高等だとするのは不合理である」
共通の祖先から見たら、みんな同じように進化したのであり、進化の仕方がそれぞれで違っているだけなのですから。

◎ヒト中心の考え方

ヒトの進化について、ダーウィンの考え方はこうです。
「ヒトはアフリカで進化したのであり、
 今でも同じアフリカで生きている
 チンパンジーやゴリラと同じ祖先から進化した」
20世紀に入るとこのような進化論は、世間に少しずつ受け入れられるようになりましたが、それでもまだ、ヒトと類人猿とのあいだの共通祖先はなるべく遠くに置きたいという心理が当時の人々には働いたようです。
冒頭の漫画(図2-1)からも分かるように、ヒトがチンパンジーに近い親戚だということを受け入れるには、かなりの抵抗があったようです。進化論はしぶしぶ認めざるを得ないとしても、類人猿はなるべく遠い祖先にしておきたいということです。

ヒトと類人猿の関係についての従来の系統樹(左側)とそれを書き改めた分子系統樹(右側)。連載第1回の図1-1 と同じ。

かつては、アフリカのチンパンジーとゴリラは、アジアのオランウータンと同じオランウータン科に分類され、ヒトだけがヒト科という独自のものであるとされたのです(上図の左側の「従来の系統樹」/第1回の図1-1)。
つまり、ヒトがチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどの類人猿と同じ祖先から進化したことは認めるけれども、共通の祖先が生きていたのは今から2,000万年以上も前のことであるとされたのです。
その後、類人猿の祖先はチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどに進化したのに対して、ヒトの祖先は長いあいだに独自の進化をしてきたと、割と最近まで考えられてきたでした。

◎ヒトに一番近い親戚はチンパンジー

ところが、1960年代から進んできた分子系統学は、このような考えは改めなければならないことを示しました。ヒトの親戚には、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、それにテナガザルなどの類人猿と呼ばれるものがいますが、それらのあいだの進化は、現在では下図(図2-2)のようであったことが分かっています。このような、種のあいだの親戚関係を表わす図を「系統樹」、あるいは「生命の樹」と呼びます。

図2-2 ヒトと類人猿の系統樹(ヒト上科)。

この図を見ると、ヒトに一番近い親戚は類人猿のなかでも特にチンパンジーだとわかります。チンパンジーの仲間はみんなアフリカに住んでいますが、普通のチンパンジー(ナミチンパンジー)のほかに、少しやせ型のボノボがいます。ボノボはかつてピグミーチンパンジーと呼ばれていました。
ヒトとチンパンジーの共通祖先は、図の中のそれぞれの写真から出ている線をたどっていった先にある●1です(今後出てくる●はすべてヒトの祖先であり、時代をさかのぼる順番に番号がついています)。この共通祖先の●1は、約600万年前に地球上にいたであろうと考えられています。
この祖先をもっと古い時代までたどっていくと、●2に出会います。●2はヒト、チンパンジー、ゴリラの共通祖先で、今からおよそ800万年前にいました。ですからゴリラは、ヒトにとってはチンパンジーよりも少し遠い祖先です。
さあ、どんどん時間をさかのぼっていきましょう。その先が●3です。これはヒト、チンパンジー、ゴリラ、それにオランウータンの共通祖先で、およそ1,700万年前にいました。オランウータンは、ヒトから見るとチンパンジー、ゴリラよりも遠い親戚だということになります。
さらにさかのぼると●4に出会いますが、これはヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、それにテナガザルの共通祖先です。およそ2,000万年前に生きていたと考えられます。
図2-2の系統樹を見ると、チンパンジー、ゴリラ、それにオランウータンをオランウータン科に、ヒトだけをヒト科にしていた昔の分類(第1回目:図1-1の左側の系統樹)は、進化の歴史を正確に反映していない、ヒト中心の偏った見方に基づいていたことに気がつきます。

◎明らかになったのは90年代

1960年代から分子系統学の研究は進み、チンパンジーやゴリラなどのアフリカの類人猿は、アジアのオランウータンよりヒトに近い親戚であることが明らかになってきました。
しかし、1990年代に入るまではヒトとチンパンジー(とボノボ)、ゴリラの3者の関係は分子系統学でははっきりしませんでした。まだ、ヒト中心の見方が残り、多くの研究者はチンパンジーとゴリラが近いと考えていたのでした。
もう1つの理由は、チンパンジーとゴリラに共通したナックル歩行という独特の歩き方がありました。これはチンパンジーとゴリラの歩き方(下の写真)や図2-3のボノボの写真で見られるもので、手の人差し指、中指、薬指の3本の指の外側を地面につけて歩く方法です。ヒトは、このような歩き方をしませんし、オランウータンもふつうはしません。

ナックル歩行をするチンパンジー。 (第1回にも掲載)

ゴリラのナックル歩行。この歩行はモノを持ちながら歩くのに適している。(第1回にも掲載)

図2-3 ボノボのナックル歩行。

また歯のエナメル質は、ヒトとオランウータンでは厚いのに対して、チンパンジーとゴリラでは薄くなっています。このような理由から、チンパンジー(それにボノボ)とゴリラがお互いに近い親戚であると考えられてきたのです。
しかしながら、1990年代になってから、分子系統学は、そのような考えは間違いであり、チンパンジーとボノボがヒトに近い親戚であって、ゴリラはそれよりも遠い親戚であることをはっきりと示したのです。
それではなぜ歯のエナメル質がチンパンジーとゴリラで共通して薄くなったのでしょうか? 本当の理由はよく分かりませんが、このような特徴は何を食べるかによって簡単に変わるものと考えられます。またチンパンジーとゴリラがナックル歩行をしているということは、ヒトの祖先もそのような歩き方をしていた可能性を示唆します。
ゴリラの写真から分かるように、ナックル歩行は4本足で歩きながら、手(前足)でモノを運ぶのに便利なものです。また図2-4にあるマントヒヒの手のひらをぺたぺた地面につける歩き方と比べると、ナックル歩行ははるかに上体を起こしたもので、直立2足歩行に近い歩き方であるとも言えます。

図2-4 マントヒヒの歩行。

◎分類の単位

種(しゅ)は生物を分類する基本的な単位ですが、種を進化的に近い親戚同士でまとめた分類単位が属(ぞく)です。
ヒトは「ホモ属」に分類されますが、現在地球上に生きているホモ属は現代人だけです。生物種を表わす正式の名前のことを「学名」と呼びますが、これはラテン語で書かれます。
現代人の学名はホモ・サピエンスで、ホモが属、サピエンスが種を表わします。化石人類のなかで、ネアンデルタール人や原人(ホモ・エレクトス)などがホモ属です。チンパンジーとボノボは同じ「パン属」に入ります。
属よりも大きな単位が「科」です。ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは「ヒト科」ですが、それらよりも小型のテナガザルの仲間はテナガザル科に分類されます。
科よりも大きな単位が目(もく)ですが、科と目のあいだに上科(じょうか)があります。ヒト科とテナガザル科をあわせてヒト上科と呼びます。図2-1はヒト上科の系統樹です。

◎共通祖先の化石は見つかるか

図2-1の「●」で記した共通祖先がどんなものであったかはとても興味がありますが、それを直接知ることはできません。もちろん昔に生きていた化石はそれを知る手掛かりを与えてくれますが、必ずしも見つかっている化石が共通の祖先であるということにはなりません。
長い生物進化のあいだには、子孫を残さないで絶滅してしまったものがたくさんいますから、見つかった化石も子孫を残さなかったかもしれないからです。
例えば●1のヒトとチンパンジーの共通祖先は、現在のチンパンジーのような生き物だったと思われるかもしれませんが、それは間違いです。その祖先から600万年のあいだにヒトが進化したように、チンパンジーも同じ600万年をかけて進化したのですから。実際にそのあとで分かれたボノボとチンパンジーもかたちだけでなく、生活のしかたもずいぶんと違うのです。
ヒトの祖先だと思われる化石はかなり古くまでさかのぼれるのですが、チンパンジーの祖先と思われる化石がなかなか見つかりません。そのために、ヒトとチンパンジーの共通祖先がどのようなものであったかが、よく分からないのが現実です。
この連載の旅で見ていくように、進化はある方向を目指して一直線に進むものではありません。共通祖先から分かれたあとで、最後にヒトになった系統は現在のヒトを目指して進化したわけではなく、いろいろな方向への進化を試みてきたものでしょう。進化はまっすぐな道を突っ走るというよりは、ジグザグの道を歩くような感じで進んできたと思われます。同じようにチンパンジーの系統も直線的に進化してきたものではないはずです。
化石を研究している人たちは、700万年前くらいの化石のなかでヒトと同じように直立2足歩行していた化石類人猿をチンパンジーと分かれたあとのヒトの祖先だと考えています。この考えが本当だとすると、分子系統学から推定された●1が600万年前という年代は、本当はもう少し古いのかもしれません。分子系統学から導かれた年代も間違いを含んでいることもあります。いろいろな証拠を取り入れながら真実に迫るのが科学のやり方ですから、間違いがあったらすなおに認めなければなりません。
ただし、この問題に関して僕は別の可能性もあり得るのではないかと考えています。化石学者がヒトの祖先だと考えている化石の一部は、ひょっとするとヒトとチンパンジーの共通の祖先であったかもしれないということです。直立2足歩行という点ではヒトに似た特徴をもった祖先から、現在のチンパンジーやボノボが進化したという可能性はありえないことではありません。
いずれにしても、僕たちヒトとチンパンジーの共通の祖先●1がどのような生き物であったかという興味ある問題の答えは、これからの研究に待たなければなりません。

つづく(次話)


*もっと詳しく知りたい人に最適の本
長谷川政美著『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』 (ベレ出版)。 本連載に大幅な加筆をして、新たな図版を掲載したものです。

扉絵:小田 隆
ブックデザイン:坂野 徹

【バックナンバー】
第1話 旅のはじまり
第2話 ヒトに一番近い親戚
第3話 ニホンザルとヒトの共通祖先
第4話 マーモセットとヒトの共通祖先
第5話 メガネザルとヒトの共通祖先
第6話 ネズミとヒトの共通祖先
第7話 クジラの祖先
第8話 イヌとヒトの共通祖先
第9話 ナマケモノとヒトの共通祖先
第10話 恐竜の絶滅と真獣類の進化
第11話 卵を産んでいた僕たちの祖先
第12話 恐竜から進化した鳥類
第13話 鳥類の系統進化
第14話 カエルとヒトの共通祖先
第15話 ナメクジウオとヒトの共通祖先
第16話 ウミシダとヒトの共通祖先
第17話 クラゲとヒトの共通祖先
第18話 キノコとヒトの共通祖先
第19話 シャクナゲとヒトの共通祖先
第20話 旅の終わり

*もっと詳しく知りたい人に最適の本
長谷川政美著系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史 (BERET SCIENCE) (ベレ出版)。 本連載に大幅な加筆をして、新たな図版を掲載したものです。

扉絵:小田 隆
ブックデザイン:坂野 徹