職業柄、カタツムリやナメクジを加熱することがある。
熱した個体から立ちのぼるのは、浜焼きのすごくいい香り。
そのとき僕は「彼らは間違いなく貝だ」と実感する。
寄生虫を研究している僕なりに、好きな陸貝の話をしてみたい。
誰にとってもたのしい陸貝入門になるのかどうかはわからないけれど。
著者プロフィール
脇 司(わき・つかさ)
1983年生まれ。2014年東京大学農学生命研究科修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、済州大学校博士研究員、2015年公益財団法人目黒寄生虫館研究員を経て、2019年から東邦大学理学部生命圏環境科学科講師。貝類の寄生生物を研究中。フィールドで見つけた貝をコレクションしている。
第17話
かつてコロナのコの字もなかったころ、立ち飲み屋で、奥さんの友達とナメクジ類の飼育の話をしたときのこと。「ナメクジ類は案外弱い生き物で、油断して世話をサボるとすぐに死ぬ」と話すと、返ってくるのは「えぇ~」「意外~」のリアクション。
ナメクジ類には得体のしれない、生きているか死んでいるかさえ分からない、いやむしろ強靭な生命力をもちしぶとく生きるような、つかみどころのないイメージがあるのかもしれない。
ナメクジ類は暗くてジメジメしたところで遭遇する。家の玄関、洗面台、果ては風呂場や台所、トイレなどいろいろなところに出没する。そのせいもあってか、ナメクジ類は「家に土足で入り込んでくるずうずうしい虫」という印象がぬぐえない。
その一方で、ひとたび人につかまって飼育下におかれると、デリケートで死にやすい、気難しい生き物に急変する。それには、ナメクジ類の飼育事情が大きくかかわっている。
蒸れに弱い
ナメクジ類には骨がない。なので、飼育容器にちょっとでも隙間が空いていると、その隙間にやわらかい体をヌルリと差し込んで、やがて見事に脱走してしまう。このため、ナメクジ類の飼育では、湿った紙や落ち葉とナメクジ類を容器にいれた後は、ふたをぴっちり閉めておくことがセオリーだ。
野外採集でも同じことで、採集した場所の湿った落ち葉とナメクジ類を容器に入れたのち、ふたをぴっちり閉めておく。こうしないと、持ち帰る間にカバンの中へとナメクジ類が逃げ出すことになる。
ところが困ったことにふたをしっかり閉めてしまうと、当然、容器内の空気が澱んでくる。実はこの状態、ナメクジ類にとって辛い状態なのだ。ナメクジ類は、適度な風通しが大好きなので、密閉状態で気温が上がると大変まずい。
部屋のエアコンの設定温度をうっかり高めにしたり、日の当たるところにうっかり容器を置いたままにしようものなら、容器の中はちょっとした蒸し風呂状態になり、ナメクジ類はあっという間に死んでしまう。これを“蒸れる”と言う。”蒸れ”は、ナメクジ類特有の死亡につながりやすい事故として、陸貝を扱ったことのある人なら一度は経験のある苦い思い出だ。
体調変化を見逃すな
“蒸れ”に限らず、ナメクジ類は汚れや暑さに弱く死にやすい生き物だ。一方で、調子が悪くなるとナメクジ類は独特のサインを出す。飼育の際にはそれらを見逃さないよう、最細の注意を払いながら毎日の経過観察をする必要がある。
たとえば、ナメクジ科のナメクジ類は、コンディションが悪くなると体表面にたるみができて、余った皮膚が干しブドウのようにしわしわになる。この状態は軽度の体調不良のようで、素早く飼育環境を整えると1日くらいで元に戻る。
しかし、体調がさらに悪化してしまう個体は体全体が少し縮んで表面が濡れたようになる。やがて、体調がとても悪いことをアピールするかのように大量の粘液を出す。これはおそらく、ナメクジ類が水分の調整をうまく行えなくなったからではないかと思っている。
【バックナンバー】
序章 魅せられて10年
1話 陸貝を愛でるために知っておきたいこと
2話 カタツムリの殻をボンドで補修する話
3話 貝と似て非なるもの
4話 カタツムリはどこにいる?
5話 ナメクジを飼ってその美しさに気がついた
6話 幸せの黄色いナメクジ
7話 オカモノアラガイはカタツムリ
8話 カタツムリの上手な見つけ方
9話 貝屋の見る夢
10話 初採集のトキメキはいま
11話 ピンとくる貝
12話 ナメクジはなぜ嫌われるのか
13話 陸貝採集 -道具のすヽめ
14話 カタツムリの標本づくり
15話 カタツムリの足跡は点線になる?
16話 カタツムリの良さは外見で判断できる?