いま世界に拡がるウイルスは、
リアルタイムで追跡できるほど進化が速い。ウイルスはいわゆる生物ではないが、
私たちヒトを含む生物と共進化する存在だ。
世界的な分子系統学者である著者が、
躍動感みなぎる“進化の舞台”へ読者を誘う。
著者プロフィール
長谷川政美(はせがわ まさみ)
1944年生まれ。進化生物学者。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。理学博士(東京大学)。著書に『分子系統学』(岸野洋久氏との共著)『DNAに刻まれたヒトの歴史』(共に岩波書店)、『系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史』(ベレ出版)、『世界でいちばん美しい進化の教室』(監修、三才ブックス)、『共生微生物からみた新しい進化学』(海鳴社)、『進化38億年の偶然と必然』(国書刊行会)など多数。1993年に日本科学読物賞、1999年に日本遺伝学会木原賞、2005年に日本進化学会賞・木村資生記念学術賞など受賞歴多数。全編監修を務める「系統樹マンダラ」シリーズ・ポスターの制作チームが2020年度日本進化学会・教育啓発賞を受賞。
天然痘は天然痘ウイルス(Poxvirus variolae)というポックスウイルス科のDNAウイルスによって引き起こされる感染症であり、人類の歴史の中でその病毒性の強さが恐れられた。18世紀のヨーロッパだけで、その100年間で6000万人が天然痘で亡くなったと推計されている(3)。ところが1796年にイギリスのエドワード・ジェンナーがワクチン接種法を開発したことにより、天然痘は次第に下火になり、1980年にはWHOが根絶を宣言するに至った。
ただ、ワクチンが開発されても世界中ですぐに普及したわけではなく、1866年には日本でも孝明天皇が天然痘で亡くなるなど、世界各地では19世紀から20世紀半ば以降までも猛威を振るった。
天然痘は、一定数のヒトが集団で定住生活するようになって以来の恐ろしい疫病だと考えられていた(4)。紀元前1157年に亡くなった古代エジプトのラムセス5世のミイラに天然痘の痕跡が見られるという。天然痘に罹ると発疹がおきて化膿し、できものになるが、それがかさぶたになって剥がれ落ちる。その跡が痘痕(あばた)になって残るが、ラムセス5世のミイラには、この痘痕が残っていたということで、天然痘は古代から人類集団に存在した証拠とされている。
また、ジェンナーがワクチン接種法を発明するはるか以前の古代中国では、子供たちに天然痘に対する免疫をもたせるために、天然痘から回復した患者の皮膚病変痕から粉末をつくり子供たちに吸引させていたという(5)。
ところがこの古代の病気が17世紀から現代にかけて猛威を振るった天然痘と同じ感染症だったのかどうか、疑問視するひともいた。それはたいていの強毒性の感染症は次第に弱毒化することが多いので、数千年もの間、強毒のままでいることがあるのか、という疑問であった。
アナウサギ(図10-1)の病原体にミクソーマウイルス(兎粘液腫病原体)がある。ヨーロッパ大陸からイギリスに最初のアナウサギがやってきたのは今から5000年前頃といわれているが、彼らはその後ずっとイギリスに住み続けたわけではなかった。5世紀頃にアングロ・サクソン人がイギリスにやってくる前から住んでいたケルト人やさらにその先住民であったひとたちは、アナウサギに相当する言葉をもたなかったという。アナウサギをイギリスに持ち込んだのは12世紀の十字軍だという説がある。それは家畜化されたアナウサギで、あとでそれが野生化したもののようである(6)。アナウサギは食用、毛皮用、貴婦人たちの狩猟用などと用途が広かったのだ。
天然痘ウイルスは以前「Variola major」と「Variola minor」の2つのタイプに分けられていた。major は毒性が強く、罹ったヒトの中で死亡する割合である致死率は、20~50%と非常に高い。一方で minor の致死率は1%未満である。ところが、分子系統樹を描くと致死率の高さだけでそのように単純に分類できないことが分かってきた(7)。例えばアフリカのminor株はアジアのmajor株の変異体らしいのである。
図10-2の「P-I(Primary clade-I)」と「P-II(Primary clade II)」がmajor と minorにほぼ対応するが、P-Iの中にアフリカのminor株が入っていたりする。このように弱毒化した株が時々出現するが、1980年の根絶宣言までそれが主流になることはなかったのだ。P-IとP-IIの2つの系統が分かれたのは、1734~1793年と推定されたが、この年代はジェンナーがワクチン接種法を発明する少し前である。
古代DNA技術による天然痘ウイルスの解析は、最初リトアニアの1643~1665年頃のものとされる子供のミイラから採られたウイルスに適用された(9)。これを20世紀の天然痘ウイルスのデータとあわせて系統樹解析すると図10-2の色枠で囲った部分のようになる。
17世紀リトアニアのウイルスは20世紀のさまざまな株から成る系統樹の根元付近から分岐しており、この時点では現代のあらゆる天然痘ウイルスの共通祖先は、1588~1645年にいたことが推測された。ただし、この年代は20世紀のすべての天然痘ウイルスの祖先がそこまではさかのぼれるということであり、それよりも古い時代に天然痘ウイルスがいなかったことを意味するわけではない。
17世紀にも遺伝的に多様化な天然痘ウイルスがいたと思われるが、その多様性がそのまま保持され続けたのではなく、その中の一つの系統だけが存続し、20世紀の流行につながったのである。
その後、イギリス・ケンブリッジ大学のバーバラ・ミューレマンらのグループは、さらに時代を大幅にさかのぼった西暦600~1050年のヨーロッパ(ヴァイキング時代という)のミイラから採取された4つの天然痘ウイルス株のゲノム配列を決定した(8)。このデータを先のものに加えて系統樹解析をすると図10-2のようになる。解析されたウイルス株の古さと、この系統樹での根元からの距離(蓄積した塩基置換の割合)との相関をプロットすると図10-3のようになる。時間に比例してほぼ一定の速度で塩基置換が蓄積していることが分かる。この回帰直線を延ばして横軸と交わるところ(置換数0であるから、最後の共通祖先の年代に相当する)をみると、およそ1700年前となる。つまり、ヴァイキング時代も含めた天然痘ウイルスの共通祖先が、1700年前にいたということが推測される。
ミューレマンらの解析により、ヴァイキング時代の少し前にはあらゆる天然痘ウイルスの共通祖先がいたことが分かったが、3000年以上も前のラムセス5世の時代にすでに天然痘が存在していたかどうかは依然として不明である。この問題に対しては、ラムセス5世のミイラから直接ウイルスを採取するしか答えを得る手立てはない。
ヴァイキング時代に遺伝的に多様な天然痘ウイルスがいたことは古代DNA解析で確かめられたが、その多様性がそのまま保持され続けたのではなくその中の一つの系統だけが存続して、20世紀にまで至っているのである。ヴァイキング時代より古い系統については、はっきりとした証拠はないものの、図10-4のようなことだった可能性がある。
いずれにしても、天然痘ウイルスの起源は少なくともヴァイキング時代の少し前の今から1700年前頃までさかのぼることは確かである。このように少なくとも1700年もの長い期間、このウイルスは強毒性を保ち続けたのだ。時おり弱毒性の系統を生み出すことはあったが、それが主流になることは最後までなかったようである。
ところで今日、天然痘ウイルスは自然界では絶滅したとされている。
しかし、今回紹介したように古代DNA解析の技術を使ってヴァイキング時代の天然痘ウイルスのゲノムが解析できるということは、いまだに感染力を保持したウイルスが自然界に残っている可能性を示しているのではないのだろうか。ゲノムが保存されていても必ずしも感染力が残っていることにはならないが、このような天然痘ウイルスに接触する可能性のある考古学者は、ワクチン接種を受けるべきだという意見もある(10)。
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ブックデザイン:西田美千子
イラスト:ちえちひろ
編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)
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ブックデザイン:垣本正哉・堂島徹(D_CODE)
編集:畠山泰英(科学バー/キウイラボ)
【バックナンバー】
第1話 微生物で満ちあふれているヒト
第2話 新型コロナウイルス感染症を追う
第3話 COVID-19とネアンデルタール人の遺伝子
第4話 SARS-CoV-2の起源
第5話 SARS-CoV-2の今後
第6話 ヒト・コロナウイルスの進化
第7話 コロナウイルス科の進化
第8話 動物からはじまったウイルス感染症
第9話 ヒトと感染症の歴史