職業柄、カタツムリやナメクジを加熱することがある。
熱した個体から立ちのぼるのは、浜焼きのすごくいい香り。
そのとき僕は「彼らは間違いなく貝だ」と実感する。
寄生虫を研究している僕なりに、好きな陸貝の話をしてみたい。
誰にとってもたのしい陸貝入門になるのかどうかはわからないけれど。
著者プロフィール
脇 司(わき・つかさ)
1983年生まれ。2014年東京大学農学生命研究科修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、済州大学校博士研究員、2015年公益財団法人目黒寄生虫館研究員を経て、2019年から東邦大学理学部生命圏環境科学科講師。貝類の寄生生物を研究中。フィールドで見つけた貝をコレクションしている。著書に『カタツムリ・ナメクジの愛し方』(ベレ出版)がある。
第2話
よくカタツムリの殻をボンドで補修するので、その話をしたいと思う。
寄生虫の研究は僕のライフワークだ。寄生虫は色々な生き物から採れるけど、僕は専らカタツムリの寄生虫を研究している。カタツムリから生きた寄生虫を取るために、カタツムリを解剖する日々を送っているのだ。
寄生虫は、ほとんどの場合、カタツムリの柔らかい体の中に寄生している。なので、カタツムリを解剖するためには、その殻を壊して(かわいそうだけど)体をハダカにする必要がある。
ところで、僕は寄生虫の研究者であると同時に、カタツムリの殻を何年もコレクションし続けてきたコレクターでもある。家では、カタツムリやナメクジの話をしながらお酒を飲んでいる(妻はカタツムリやナメクジが大嫌いなので嫌な顔をされる)。
殻をコレクションしている限り、殻を壊すなんてことはもちろんやらない。貝殻の内側の構造を調べるときだって、人間ドックのようにスキャンをしてしまえば、殻を壊さずに構造を知ることができる。
生殖器とか、カタツムリの軟体部の様子を知りたいときでも、サザエの壺焼きやシッタカ煮と同じ要領でカタツムリを湯がけば、殻をくるくると回して中身をつるりと取り外すことができる(これは、加熱すると寄生虫が死んじゃうので、寄生虫を調べるときはできない)。こうしてみると、カタツムリの生きた寄生虫が欲しくて殻をこわしてしまうのはレアな方法なのである。
コレクターの心を持ち合わせている僕にとって、カタツムリの殻を壊すには少しの勇気と思い切りが必要だ。普通種(=沢山採れるカタツムリ)の殻はまだいいんだけど、のどから手が出るほど欲しい珍品(=レアなカタツムリ)とか、好きな種類の殻は非常にもったいなくて、ちょっと壊しにくい。カタツムリの寄生虫の研究を始めたばかりの時は、脳の一部をリセットした状態で殻を壊していた。
カタツムリは、野外にまんべんなく分布していることは少なく、1カ所からまとまって採れることも多い。これは、カタツムリによって好きな環境がだいたい決まっているからだと言われている。
沢山採れさえすれば、研究に必要なカタツムリを確保した上で、殻「保存用」のカタツムリをキープする方法だってある。この方法は、寄生虫の宿主のカタツムリの標本をちゃんと採っておくという意味でもとても大事なことで、普通種のカタツムリではこの方法を採用している。
しかし、珍品は得てしてたくさん採れず、殻を粉砕してしまうと標本としての価値を損なってしまうのが問題だ。寄生虫の研究をしているけれど、寄生虫の標本だけでなくカタツムリの標本もしっかり保存して、後生に残しておけるように心がけたい。
そこで今は、殻を割って、その後ボンドで丁寧に修復する方法をとっている。修復すること前提で上手に殻を壊して、あとで直すわけだ。思い切って力を入れて割るのがコツで、中途半端に力をいれると変な方向に割れてしまったり、壊したところの殻が小さな破片や粉みたいになったりして修復不可能になる。綺麗に割れると、修復後に割れ目が目立たないので非常に満足できる。こうすれば、博物館の展示にだって充分使える標本になる。
最終的に、殻全体が修復不可能なほど細かく砕けた割れた殻も、出来るだけ取っておくようにしている。バラバラになった殻を見るたびに悲しい気持ちになるので、精神衛生上とてもよろしくない。その点ナメクジは素晴らしくて、壊すものが無いので心置きなく解剖できる。ただ、コウラナメクジの仲間は背中に小さな殻の痕跡があるので、それは丁寧に取り出してコレクションするように心がけている。
最後に、殻が半分壊れているカタツムリは、マニア垂涎のミヤマヒダリマキマイマイ(学名Euhadra scaevola)であることを付け加えておく。
【バックナンバー】
序章 魅せられて10年
1話 陸貝を愛でるために知っておきたいこと