めざすは南極、しかも冷た〜い湖の底。
なぜ行くのか? それは珍しい生き物がいるから!
世界一深いマリアナ海溝の高画質撮影を成功に導いた、
若き水中ロボット工学者が、南極大陸の地を踏み、
過酷な現地調査に同行することになったのだが…。
著者プロフィール
後藤慎平(ごとう しんぺい)
大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた。雑誌「トラ技 jr」にて「深海のエレクトロニクス」を連載中。
フリーマントルを出港してほどなく、「しらせ」はいわゆる暴風圏に突入する。吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度と言われる海域で、緯度が増すにつれて波が高くなり船体動揺も激しくなる。この暴風圏通過はさまざまな映画や小説などで過酷なシーンが描かれているので、初めて船に乗る人にとっては未知の恐怖だろう。
対策として、大量の酔い止めや経口補水液を購入して万全の体制で乗船する人が少なくない。私は荒れ狂う海は何度も経験しているが、やはり前評判に怖気づいて普段は買わない酔い止めを大量に買って行った一人である。
しかし、「2代目しらせ」には、船の動揺を軽減するための「減揺装置」が搭載されているのと、船体下部がバスタブのように広くなった和船タイプなので、実際のところはあまり揺れない。
いや、もちろん船なので揺れる。しかも傾斜角20度なんてフツーだ。居室の椅子が端から端へと滑っていくし、艦橋の窓にまで波が被るくらい。なので、ダメな人にはダメなのだが、私が参加していた59次隊の場合、映画『南極物語』のように船酔いで自室から出てこれないというような人はごく少数だった。私が持って行った酔い止めも1回もふたを開けることがなかった。
低気圧や前線の位置によっても海象が変わるため、一概には言えないが、自衛隊員に前年の様子などを聞いても「新しらせになってからは、あまり酔わない」と話していたので、これも造船技術の進歩のお陰ということにしておこう。
そんな暴風圏も南緯55度を超えると、ここから南は南極圏である。だからと言って何か変わるわけでもなく、自衛隊員や観測隊員は手当の額が変わり、1日の食事の摂取カロリーが増えるくらいである。研究同行者(国内出張扱い)の私にとっては、前者は全く関係がないので、摂取カロリーが増えることで太らないように気をつけるくらいである。
さらに船は南下を続け、チラホラと流氷を目にすることが多くなる。外気温も0度になる日が増えてくる。いよいよ南極が近付いていると実感すると同時に、なまった体を鍛えて外気温に慣らすため、甲板上で運動をする人の姿が増えてくる。
「艦上体育」と呼ばれ、船の外周を走る。日によって時計回り、反時計回りが決まっていて、朝の艦内放送で知らせてくれる。流氷を見ながらランニングなんて贅沢な響きであるが、実際は、吸い込む空気が冷たすぎて肺が痛い。咳き込むほど。
フリーマントルを出港して2週間が過ぎ、暴風圏も抜けて船の生活にも慣れてきたころ、ついに上陸の準備が始まる。あと1週間もすれば南極に上陸となるため、昭和基地に入らず、「しらせ」から直接、野外観測に出るチームは慌ただしくなる。そう、今回、私はこの野外観測チームとしての参加していた。
野外観測チームとは、昭和基地以外の場所をベースキャンプとして、生物や地質、雪氷、宙空などの観測を行うチームのことで、昭和基地のある宗谷海岸沿岸には、いくつかのベースキャンプがある。これらのベースキャンプはそれぞれ役目が決まっており、「袋浦」という場所はペンギンのルッカリー(営巣地)近くにあることから、主にペンギンの研究チームが使用する。
また、スカルブスネスの「きざはし浜」は、近くにさまざまな湖沼が点在することから、陸水生物研究や地学研究のベースキャンプとして使用されることが多い。私は、今回この「きざはし浜」で約2か月の南極生活を送るのだ。
各ベースキャンプには、小さな小屋(カブース)があり、その中で寝起きし、食事をしたりサンプルを処理したりする。もちろん、南極料理人なんていないので、調理も自分たちでやらなければならない。そのため、野外に出るチームにとっては、船から支給される食糧が命の源で、過不足は死活問題である。そんな食糧の配布は船を挙げての一大イベントである。
日本から積んできた肉や魚や野菜や調味料や保存食などを、船倉から引っ張り出して、想像を絶する量をチームごとに振り分ける。その名も「糧食配布」。
各チームに配布される食糧は、あらかじめ、チームの人数と野外観測の日数に基づいて配布量が計算される。昭和基地から離れて生活するため、足りないからと言って気軽に貰えるわけではない。ブリザードが吹けば数日間はヘリ輸送ができないこともある。そのため、生鮮食品の他に缶詰やカップ麺などの保存食なども配布される。