ANTARCTICA

 

めざすは南極、しかも冷た〜い湖の底。

なぜ行くのか? それは珍しい生き物がいるから!

世界一深いマリアナ海溝の高画質撮影を成功に導いた、

若き水中ロボット工学者が、南極大陸の地を踏み、

過酷な現地調査に同行することになったのだが…。



著者プロフィール
後藤慎平(ごとう しんぺい)

大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた。雑誌「トラ技 jr」にて「深海のエレクトロニクス」を連載中。

【バックナンバー】
第1話 日本出発

 

めざすは南極湖底生物!

水中ロボットを背負って

 

第2話

フリーマントルから南極へ

文と写真 後藤慎平(水中ロボット工学者)

◎甘いもの

前回、船の生活であれこれ持って行くとよい雑貨類を紹介したので、ぜひ何かの参考にしてほしい。そのほか自分で持ち込むといいものはほとんどなく、食品でさえ艦内では,これでもか!というくらい食事が出るのと、バランスやリズムが一定なのもあって、間食を食べたくなることがあまりなかった。今回は、これまでの乗船経験から、夜中に貪るお菓子や夜食をコンテナいっぱいに持って行っていたが、ほとんど手を付けなかった。ただ、その中でも「あったらいいな」と思ったものを紹介しておこう。

◎歓迎行事

フリーマントル滞在中に行うのは物資の搭載や買い出し、残してきた仕事の処理だけではない。観測隊にはもう1つの役割がある。それは、オーストラリアで活動する日本人のお子さんが通う日本人学校の生徒さんの「しらせ」見学会や、地元の議員さんや企業の方などを招待して行われる艦上レセプション、西オーストラリア州に拠点を置く日本企業で作る日本人会の皆さんが開催される忘年会への参加などがある。
どの行事も盛大に行われるのだが、日本人会の忘年会ではオーストラリアで活躍される方々と交流ができる。家族で転居された方や家族と離れて単身赴任されている方などさまざまで、慣れ親しんだ日本を離れ、さらに家族とも離れて単身で活動される方から話を聞くと、「自分にそんな根性あるんだろうか?」と頭が下がる思いだが、そんな人たちから「南極なんて寒い場所で活動されるの凄いですね!成果が聞けるの楽しみにしています!」なんて言われると、海外でさまざまな苦労をされて来たであろう人々の言葉の強さに、俄然やる気がわいてくる。

西オーストラリア州日本人会主催の忘年会。

地元の方を招いて行われる艦上レセプション。

◎いよいよ出航

フリーマントル滞在中は、隊の仕事の他にも残してきた仕事やメールの対応に追われて、文字通りあっという間に時間が過ぎる。しばらくは満足に連絡もできない。出港前日の夜は門限ギリギリまでダメ押しの買い出しや家族への連絡などでバタバタとする。
そして、翌朝―
朝のミーティングで出港時の整列場所や帽振れ(自衛隊艦船において、出港時に帽子を振る礼式のこと)について説明がある。それが終わると、いよいよ出港である。もう、この先4か月間は文明圏から離れた生活になる。舷側から岸壁へと降りる1本のタラップが尊く感じる。「駆け下りてカフェに行きたい!」「あぁ! あれ買っておけばよかった!」そんな声があちこちから聞こえるが、既に岸壁の門は閉じられ屈強なガードマンが立っているので行けるわけもない。勇気を出して行ってみたところで、行き先は南極ではなく日本だろう。
出港時間が近付くにしたがって、岸壁には地元の人や現地の日本人会の人々が徐々に集まり、子供たちが歌を歌ってくれたりする。そしてタラップが完全に上げられると、ほどなくして12500トンの巨大な船体がゆっくりと岸壁から離れ始める。
最初は、あまりにゆっくりかつ振動もほとんどないので、船が動いていることに気付かない。眼下に見えていた灰色の岸壁から、青い海が見え始めて、ようやく離岸したことに気付く。自分の隣には、今回の調査に参加したオーストラリア人の大学院生が、見送りに来た両親に手を振っている。「まだ電波が繋がるよ」と教えてあげると、電話をして両親の声を聞いて涙を流していた。そりゃ不安だろう。親元を離れるだけじゃなく、ルールも作法も違う異国の船で、行き先は未知の大陸・南極なのだから。
今回、私は彼女のホスト役であったため、出港前にご両親に会って、艦内での生活や南極の現地での調査などについて、自分自身が行ったこともないのにいろいろ説明をしなければいけないという大役を仰せつかっていた。その中でも、「自衛隊用語」とでもいうべき号令などは、我々でも普段の生活で馴染みのないため、一瞬、「?」となることがあり、これを翻訳するのにえらい苦戦した。しかし、幸いにも彼女とご両親は少し日本い住んでいたことがあるらしく、簡単な日本語にしてなんとか伝えることができたのだった。

フリーマントルを出港する「しらせ」の見送りに涙する隊員もいた。

「不安>期待」な状態の我々を乗せた「しらせ」は徐々に速度を上げ、岸壁との距離が開いていく。つい1~2分前までは飛び降りれば岸壁に着地できたであろうが、いま飛び降りれば間違いなく海の藻屑になるのに十分な距離が生じていた。岸壁からの声援の声がだんだんと小さくなるのが寂しくて、舷側に並んだみんなはいつまでも思い切り手を振っている。
このとき、私の頭の中には「宇宙戦艦ヤマト」のテーマが流れていた。そう「手を振る~人に~笑顔で応え~♪」というやつだ。「必ずここへ〜♪」は帰ってこず、4か月後の入港先はシドニーなんだけどね、なんてことを一人で考えてニヤリとしていたのだが、このときはまだ、この後に起こる大事件(珍事?)のことを夢にも思っていなかった。

◎しらせの船旅

感動的な出港から2時間ほどが経ち、お昼を過ぎるころには陸が見えなくなっていた。もうここまで来たら「不安<期待」となり、ついに始まった南極への航海に、皆、テンションが高くなる。そして、怒涛の日々が始まるのだ。
南極までは約3週間の航海で、その間にやることが目白押しだ。まずは、艦内の設備をあらかじめ頭に叩き込むための艦内ツアーがある。これはどの船でも初めて乗る人には必要な教育で、艦内のどこになにがあるか? を把握しておかないと、万が一の際に迅速な行動が出来ないからだ。
次いで、船の緊急事態に備えて総員離艦訓練がある。実は、救命艇は誰でもどのボートにでも乗って良いというわけではない。いや、背に腹は代えられない事態ではもちろん良いのだが、1隻の救命艇に大勢が集中すると多重事故の元になるので、緊急時に自分が乗る救命艇は予め決められている。船によっては「退船部署表」などと書かれた紙が居室に貼られていて、脱出の際は誰が何番の救命艇に乗るか? 何を持って行くか?が明記されている。「しらせ」の場合、観測隊員は救命具以外は手ぶらで良いのだが、研究船などは「毛布」とか「データ」というように、各員が手分けして船から持ち出す物品も併記されている場合がある。こういった普段慣れないことは、有事の際には往々にして手間取るので反復訓練が必要になる。
訓練はこれだけではない。ヘリコプターに救助してもらう際の吊り上げ訓練や、野外観測地へ迎えに来たヘリコプターに風向きを知らせる発煙筒の扱い方、小型の観測ヘリコプターへの搭乗の仕方など、さまざまな訓練が実施されるのだ。
さらに、訓練の合間にはさまざまな安全講習がある。例えば、昭和基地内での作業の際にどのような点に気を付ければいいか? や、野外観測で出る際に注意すべき歩き方や、動きやすい服装と防寒着の選び方、医師からは歯の磨き方まで、その内容は多岐にわたる。メニューの多い日は朝から夜までみっちり訓練や講習が入っているので、優雅に船旅なんて余裕はあまりない。
また、これら訓練や講習とは別に、今回の南極観測事業でどのような研究・観測を実施するのか? を、研究者や観測隊員から紹介する「しらせ大学」も行われる。主に自衛隊の方に向けての事業説明的な意味合いもあるのだが、これがかなり専門的かつ本格的な講義であるため、毎回立ち見が出るほど多くの人が参加する人気イベントだ。
そんな慌ただしい日々の中でも楽しみがある。そう、食事の時間だ。「配食用意!」の艦内放送と共に、各室からぞろぞろと食堂へ人が集まってくる。「しらせ」の食事の時間は1日3回で、朝は6時15分、昼は11時45分、夜は17時45分である(航海中と昭和基地接岸中、寄港地接岸中で時間が変わる)。
食事はビュッフェスタイルで、各自でお皿に好きな量を盛り付けていく。「しらせ」は海上自衛隊の艦船なので、長い航海での曜日感覚を保つため毎週金曜日の昼食はカレーライスと決まっている。今や名物となったこの「自衛隊カレー」は、艦艇ごとに伝統的に受け継がれる「独自のカレー」が存在するが、「しらせ」は日本各地のさまざまな部隊から隊員が集まっているため、カレーのレパートリーもさまざまで毎週違うカレーが出されていた。さらに、毎月「9」の付く日は「肉の日」となっていて、夕飯にはステーキが出される。そして、4か月航海の中で最大のイベントは、「9」の付く金曜日だ。昼にカレー、夜にステーキ。これはもう祭りだ。

ノーマルカレー+メンチカツ+サラダ+ゆで卵+パイン+チーズ+牛乳。

ステーキ+スープ+ガーリックトースト+ライス+付け合せ。いわゆる「海軍カレー」は、カレーの材料云々ではなく、サラダと牛乳が付くものを指すらしい。 。

毎日3食の食事以外に、南極観測船の名物(?)とも言うべきイベントがある。ソフトクリームである。実は初代南極観測船「宗谷」の時代にもアイスクリームフリーザーが搭載されており、当時はクーラーの代わりに暑さをしのぐ目的として搭載されていた。
「しらせ」(59次隊)では3日間限定で昼食後と夕食後に配食される。これが老若男女問わず大人気イベントで、あっという間に長蛇の列ができる。長いときは10分待ちなんて日もある。まさに行列のできるソフトクリーム店だ。食堂の前にはソフトクリームの看板まで出る手の込みよう。何でも全力で行う自衛隊のおもてなし精神に感動である。

食堂前に出されるしらせ牧場の看板が目印。自衛官(司厨係)がくるくる巻いてくれる。

つづく