VOYAGE

 

3.11の巨大地震に遭遇した地球科学者たちは、

直後から、超巨大地震発生の謎に迫るために始動していた。

"JAPAN TRENCH FAST DRILLING PROJECT"

JFAST(ジェイファースト)と呼ばれる深海底探査航海は、

あらゆることが想定外。まじヤバい!



著者プロフィール
マスターNobu(江口暢久)

京都生まれ。琉球大学理学部海洋学科卒業。東京大学大学院理学系研究科修了。東京大学海洋研究所では、有孔虫の研究で博士(理学)取得。その後、高知大学などを経て、サイエンスコーディネーターとして統合国際深海掘削計画(IODP)にかかわる。現在は、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の地球深部探査センター(CDEX)でサイエンスオペレーションマネージャーとして勤務。仕事柄、世界を飛び回る日々。趣味は、料理と読書と銀塩写真の撮影とカメラの収集。

 

JFAST航海記


第1話

そのとき、ちきゅうは

 文 マスターNobu

 写真 JAMSTEC/IODP提供

地球深部探査船「ちきゅう」。 (C)JAMSTEC/IODP

◎横浜では

2011年3月11日、私はニューヨーク出張から帰国するはずだった。 3月6日のフライトでニューヨークに入り、会議に出席し、3月11日の午後3時25分成田到着の予定だったのだ。ところが、出張前日の3月5日、急な発熱で出張をキャンセル、翌週には熱が引いたので、3月11日は横浜の海の近くにあるオフィスに出勤していた。私は、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC*1)横浜研究所内にある、地球深部探査センター(CDEX*2)に勤務している。
11日の昼の2時半をすぎたころ、席を立ちトイレにいくと、身体がぐらついた。やはりまだ体調がすぐれないようだな、と思ったのだが、めまいにしては段々揺れがひどくなる。これは地震だ!それもかなり大きい!慌ててデスクに戻ったときには建物全体が大きく横揺れしていた。ヘルメットをかぶり、屋外に退避する。海のほうで黒煙が上がり始めていた。

  • *1:JAMSTECは、ジャムステックと読む。日本の海洋研究の中心的な存在。海洋調査船を8隻、しんかい6500、ほかに無人深海探査機を所有。横浜研究所には地球シミュレータと呼ばれるスーパーコンピューターもある。JAMSTEC <http://www.jamstec.go.jp/j/>

  • *2:CDEXは、シーデックスと読む。地球深部探査船「ちきゅう」の運用母体であり、船の管理・運用から研究航海の実行など、「ちきゅう」を使った科学掘削のすべてを担っている。
    CDEX <http://www.jamstec.go.jp/chikyu/jp/>

◎八戸港では

3月11日、地球深部探査船「ちきゅう」は次の航海への出港を控えて、八戸港で荷役を行っていた。航海直前の船というのは、とても慌ただしい。港と船を繋いでいる係留索(もやい)を外して出港してしまえば、その航海だけに集中できるのだが、港についているときはそうはいかない。
このときも、船上のクレーンは、ひっきりなしに岸壁からコンテナを積み込んでいたし、船内では放送局の取材が入り、さまざまな機器の点検 作業が行われ、そのうえ48名の小学生が付き添いの先生4名と船上で特別見学を行っているところであった。運航委託会社の船上スタッフはもちろん、JAMSTEC、船上研究区画を管理・運用しているスタッフなど航海に乗船するスタッフをいれると、定員200名の「ちきゅう」の船上に、253名もの人がいた。
八戸港への津波の第一波は15時50分に「ちきゅう」に到達。その前に発令された津波警報を受けて、船長は港外への退避を決定、大急ぎで出港準備を行っていた。
港に停泊するときは、一般には「出船」といって、港の入り口に船首を向けて停泊するのだが、八戸港はその構造上、停泊するときに船首を港の奥に向けて停泊することになる。そのため、出港するには、もやいをといた後に巨大な船体を180度転回しなければならない。
船長をはじめ、操船スタッフは懸命に船を操ったが、もやいの取り外しは間に合わず、船尾のスラスター(船のスクリューにあたるもの)を使ってなんとか船を岸壁に押し付けていられるように操船を行った。しかし、津波に翻弄され、もやいが一本、また一本と切れていった。

八戸港で大津波にあう「ちきゅう」。 (C)JAMSTEC/IODP

船長はもやいの切り離しを指示。船長の迅速な判断、スタッフの適切な対応により、津波到来から25分ほどで「ちきゅう」は岸壁から200メートルほど離れ、そこで錨を投下したが、この後、次々に「ちきゅう」を危機が襲う。
近くにいた浚渫作業船がコントロールを失い「ちきゅう」に向けて接近してくる。16時40分には津波の引波で港の海面が著しく下がり、船底が着底した。追い討ちをかけるように、第二波の津波が「ちきゅう」を襲った。
急激な海面上昇とともに港内の流れが強く、船体の制御が困難になった。船体後部がついに護岸壁とテトラポットに接触、船体に穴が開き、左舷のスラスターを損傷した。
港内を渦巻く流れに逆らいながら、懸命の操船が続く。幸いにも、損傷は最小限に抑えられ、また人身事故もなく、20分ほど港内を翻弄された後に、「ちきゅう」は港の中央付近に停止した。
「ちきゅう」に乗った253名は、そのまま不安な一夜を船内で過ごした。
翌日3月12日、八戸市をはじめ、地元の迅速な動きもあって、海上自衛隊のヘリコプターが「ちきゅう」に到着。小学生を含む地元関係者は無事に下船をすることができた。しかし、港の中は漂流物がながれ、防波堤は崩壊し、水路の安全が確保できず、港自体が使用できない。幸いなことに、港が災害復旧拠点港湾の確保という位置づけがなされたので、海上自衛隊によって掃海作業が進み、津波に襲われてから1週間後の3月18日の夕方、ようやく「ちきゅう」は出港した。

◎ふたたび横浜

当初の予定では、「ちきゅう」は3月15日に出航、下北半島沖での第337次研究航海を行う予定だった。この航海には国内海外の29人の研究者が乗り込むことになっていたが、もちろん研究航海どころではない。第337次航海はキャンセルされた(航海は改めて2012年7月に実施された)。
このような緊急事態が発生したとき、国内外の関係機関、関係者への対応、調整は、私の仕事のひとつである。「ちきゅう」を使って研究を行う、統合国際深海掘削計画(Integrated Ocean Drilling Program; IODP、アイオーディーピーと読む)の国際コミュニティーに向けて、震災翌日の3月12日には以下のようなeメールを各国のIODP事務局宛に発信した(IODPについては後述する)。

<3月12日に発信したeメール>
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Subject:

「ちきゅう」の被害状況と第337次研究航海のキャンセルについて

親愛なる各国IODPオフィス、

お聞き及びだとは思いますが2011年3月11日(金曜日)午後14:47に日本の北部太平洋岸の東北地方をM8.8(当時発表されたモーメントマグニチュードのまま記載)の地震と7 mを超える津波が襲いました。そして依然として多数の余震に見舞われています。「ちきゅう」はIODP第337研究航海の準備のために八戸港に停泊中でした。「ちきゅう」は緊急出港しようとしましたが、緊急出港に際して、スラスタの一基を失うダメージを受けました。正確な状況は現在まだ調査中です。
船上にいたすべての職員や訪問者をはじめ、陸上のCDEX / JAMSTECの職員およびサポートスタッフの安全は確認できています。しかしながら、「ちきゅう」が研究航海を再開するためには、修理が必要であり、残念ながら、ここにIODP第337研究航海をキャンセルすることを正式に発表します。
我々は現在、今回の地震および津波による影響を検討しており、第337次航海の実施のタイミングおよびそれ以外のIODPの航海の実施について検討を始めてはいますが、損傷の大きさを評価し、修理の計画をたてるのには時間がかかるということをご承知ください。
我々は状況が明らかになるにつれ、速やかに情報を提供するようにします。
我々からも第337次研究航海乗船者へキャンセルの連絡をしますが、彼らの日本への移動のキャンセルについてのサポートをお願いいたします。
敬具、
Nobu Eguchi
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横浜のCDEXには船上から逐次状況が送られてくる。CDEXセンター長の東垣から、IODPの国際研究関係者に対して、滞りなく状況を連絡するように指示がでた。

<3月15日に発信したeメール>
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Subject: Chikyu/CDEX アップデート

皆様、
CDEXの現在の状況について簡単にアップデートをします。電力消費を削減するために、現在計画停電が実施されており、公共交通機関の運行も削減されたり、停止されています。電話やインターネットもこの影響を受ける可能性が示唆されています。
CDEXでは地元の施設の負担を減らすために、一部スタッフはオフィスに出ていますが、残りは自宅勤務か休暇を取っています。CDEXと運航委託会社はとても緊密な連絡体制をとっており、現在の困難な状況の中でも「ちきゅう」の被害の評価および修理に関しての打ち合わせを行っています。今後のCDEXのコンタクトパーソンは江口暢久になります。船上に残っていたスタッフのうち、船上に必要のないスタッフは下船できたので、このあと青森からの定期便で戻ってくる予定になっています。現在の状況はかなり深刻ですが、現状の評価、修理計画立案、そしてこの震災からの復帰を懸命に行っており、日々進展しています。
現在の計画は、先日江口が連絡してからは変更されていません。私たちは、今回の状況により必要となった今後の計画を調整し、それらの案を今月末に行われるOTF会議で発表する予定です 。
我々は、国際パートナーの皆さんから頂いた、暖かい言葉に感謝すると共に、今後出来るだけ早くIODPの航海を再開するべく全力を尽くします。
敬具、
東センター長代理 江口暢久
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こうしてコンタクトパーソンとなった私は、このあと国際コミュニティーに対して、定期的にアップデートを送り続けることとなる。

統合国際深海掘削計画(IODP

本連載には、やむをえずいろいろな略語が出てくるのだが、今回はまず、一番よく出てくる「IODP」について説明しよう。
IODPは、深海底を掘って研究する世界的な科学計画の略称だ。ふつうに、アイ・オー・ディー・ピーと読む。英語で「Integrated Ocean Drilling Program」、日本語だと「統合国際深海掘削計画」となる。
海洋掘削科学は1960年代から続く半世紀の歴史があり(その歴史の詳細については別の機会に)、2003年から始まった、国際科学プログラムIODPは、世界中の海洋を掘削し、採取してきた海底の泥や土(堆積物という)や岩石、それから観測データ(掘削の孔から得られる物性データ) を用いて、地球生命科学的な研究成果をあげてきた(注;このIODPは2013年9月で終了し、2013年10月からは新しいプログラム「International Ocean Discovery Program」となった。略称は同じIODP)。
日本、米国、欧州連合を柱に、オーストラリア・ニュージーランド連合、インド、中国、韓国、ブラジルなど、世界27か国が参加している。米国と日本はそれぞれジョイデス・レゾリューション号と、「ちきゅう」という科学掘削船を持ち、欧州連合は研究のターゲットによって、そのプロジェクトに相応しい掘削船を民間からチャーターするのだ。

調査地点である日本海溝の上に浮かぶ「ちきゅう」。 (C)JAMSTEC/IODP

IODPの仕組みがあることで、それまで研究のターゲットにならなかった、氷の広がる北極海や、水深が極端に浅いサンゴ礁、あるいは海底下の深いところも掘削して、そこで得たサンプルをもとに、より詳しく地球について研究できるようになった。
IODPがユニークなのは、どこでなにを目的として掘削を行うか、という提案(掘削提案書)は科学者個人あるいは科学者のグループによって出されるというところである。プログラムに対して提出された掘削提案書をIODPの運営側が承認すると、その提案書はプログラムの所掌となり、予算が割り振られ、掘削計画が作られる。そして、それぞれの計画に適した研究船が割り当てられ、実際の掘削が行われるのだ。すべての掘削は最初に提案される掘削提案書から始まるのだが、通常この提案書提出から実際の掘削が行われるまで、最低でも5年はかかる。
各参加国はそれぞれIODP事務局を持ち、それぞれの国の研究者コミュニティーを束ねている。「ちきゅう」の航海にかかわる国際的な研究者ネットワークの拠点が、横浜の海の近くにある私のオフィスだ。

つづく