MANIA

 

のんびり森の落ち葉の下で暮らす、小さなダニ。

ドイツやフランスではチーズ作りにいそしみ、

アメリカではかつて子供たちのおもちゃだった、健気なダニ。

人にワルさをするダニも少しはいるけれど、

ほとんどのダニは、自由きままに生きる平和主義者なのです。



著者プロフィール
島野智之(しまの さとし)

1968年生まれ。横浜国立大学大学院工学研究科修了。博士(学術)。農林水産省東北農業研究所研究員、OECDリサーチフェロー(ニューヨーク州立大学)、2005年宮城教育大学准教授、フランス国立科学研究所フェロー(招聘、2009年)を経て、2014年4月法政大学教授に着任。2017年日本土壌動物学会賞受賞。
著書に『ダニのはなしー人間との関わりー』(島野智之・高久元編、朝倉書店、2016年)、『ダニ・マニア《増補改訂版》』(島野智之著、八坂書房、2015年)、『日本産土壌動物―分類のための図解検索―第2版』(分担執筆、東海大学出版部、2015年)、『生物学辞典』(編集協力者、分担執筆、東京化学同人)、『進化学事典』(分担執筆、共立出版)、『土壌動物学への招待』(分担執筆,東海大学出版会)、『ダニの生物学』(分担執筆,東京大学出版会)など

 

ダニマニア宣言

やっぱりダニが好き!

 

第16話

与那国島へ

文 島野智之

念願の与那国島に出かけた。ヨナグニサンという日本最大の蛾が生息する島は、図鑑でその巨大な蛾の存在を知った子供の頃からの憧れだった。特別、蛾が好きだったわけではないが、40年前の子供にとって沖縄は果てしなく遠い。日本最西端の南の島へ行けば、ふだん見たこともないような生きものがたくさん待っているのだ、そう思うだけで胸が熱くなった。

与那国島のマンホールの蓋と日本最西端の碑。マンホールにデザインされているのは、日本最大のガであるヨナグニサン(アヤミハビル)、日本在来馬の与那国馬(与那国町の天然記念物)、そして水揚げの多いカジキマグロ。

◎ダニを探しに海へ

日本の西の果ての国境、与那国島の位置は台湾の隣。大人になった僕は、ついに与那国島の地面を踏むこととなった。レンタカーを借りて島内を走り始めるとすぐに森が見えてきた。「あそこが、ヨナグニサンの生息する森か!」とは思ったものの、潮間帯に生息するダニたちを採集するのが今回の目的なので通り過ぎた(これが大人になるということなのだろう)。海岸に到着してから潮が引く時間を狙って、急いで岩礁地帯をいくつも回ってダニのすんでいる藻類を採取した。

潮間帯のダニの採集中に海面下からウツボが飛び出してきた海岸。

潮が満ちてくる時間は、そそくさと森に駆け込み、落ち葉がたまった、良い環境の土壌を探す。亜熱帯なので落ち葉の分解は早い。バクテリアやカビなどの微生物は温度に比例して活発になるからだ。したがって、亜熱帯では微生物の働きは格段に増して、落ち葉は急激に分解される。温帯域の森のように、落ち葉がフカフカに積もった森というのは亜熱帯域の森にはあまりない。だいたいの林床が、薄い落ち葉の層しかなく、その下はすぐに赤い泥だ。それでも、森の中を見渡すと、樹の根元などには落ち葉が溜まっている場所がある。
落ち葉を分解する分解者たち、まだ、名前の付いていないササラダニたちがすんでいる。彼らに会うために僕は旅費をかけて、与那国島まで来たのだ。

ティンダバナ(ティンダハナタ)。与那国町西部にある標高85mの断層崖の交叉によって形成された地形。サンゴでできている石灰岩のため興味深い生物相が形成されている。

サソリモドキ。

◎土の匂い

与那国島は古くは「どなん」といわれていた。与那国島は断崖に囲まれた島で、天候が不安定。そのため渡るのが難しいとこから「渡難」という説と、実際は与那国島を指す島の言葉「どに」から来たという説がある。
与那国島は、人口2000人にも満たないのに酒造所が3軒もある。そのうちの1件は、「どなん」という泡盛をつくっている(国泉泡盛合名会社)。ヨナグニの泡盛は60度(アルコール60%)のものを「花酒」と呼ぶ。 琉球王朝のころ、でき上がった特産泡盛の”ハナ”の部分(蒸留で一番最初「はなさき」にでてくる)、一番搾りの香りも高く純良でうまい部分は、”ハナ酒”=”花酒”として琉球王に献上された。
今回の旅では、花酒の古酒(熟成させた泡盛)で評判の高いものを、飲んでみた(花酒与那国:合名会社崎元酒造所)。すると、最後に鼻にぬける香りが、何とも言えない匂いだった。
「この匂い、”土”じゃない?」
琉球王しか飲めなかった花酒、それも熟成された古酒の香りの要になるのが土の香りなのか……。ふと、国際ソムリエ協会会長の田崎真也氏が、著書『言葉にして伝える技術』の中で、ワインの熟成具合を果実が土に帰るプロセスに例えて表現していたことを思い出した。
それから、日本各地でとれた水の産地を飲んだだけで当てられる人がいることも思い出した。これはその土壌鉱質を反映した味を見分けているのだろう。山に降り注いだ雨が土を通り抜け、ふたたび地面に流れ出るプロセスで、水に味が付くのである。フランスやイタリアの家庭で、水道水を鍋で沸かすと、すぐに鍋が白くなる。水の中に溶けている土壌由来のミネラルが析出したのである。
農業は土を使って生産をする。農業者の中には、土をたべて善し悪しを判断する人がいる。超人的なのは、ミルク(牛乳)の味で、その牛乳が生産された地域を当てる人がいることだ。牛は牧草を食べ、牧草は土の上に生える。言ってみれば土壌の「風味」を牧草が伝えるのだ。当然、牛がつくるミルクは牧草の風味を受け継ぐことになる。その風味からミルクの生産地を当てることができるのだという。
このような超人たちにはかなわないが、私も、森を歩いているとどんなムシがいるか、“匂い”でわかるときがある。さらに、土に手を入れると、そこにどんなササラダニがいるのか、大まかに予想はつく。 有機物が分解され。鉱物土壌の細かいものと結びつくことで、いわゆる黒い「土壌」が出来る。土壌ダニや土壌動物が有機物を食べ、これらを粉砕する、これらの有機物が鉱物と結びつくことでどんどん黒い土壌が育だち、有機物が蓄えられるのだ。
土壌に蓄えられた有機物はバクテリアや菌類が分解しこれら有機物を無機化することで、ようやく植物が根から吸収できる無機物になる。これが植物にとっての栄養である。その無機物を栄養としてやがて草が生える。生えた草を家畜が食べる。
ヤギや羊、牛が食べて、ミルクを出す。 出したミルクを人間がチーズにする。ミルベンケーゼやミモレットというチーズは熟成されるときには(第1話参照)、チーズダニの世話になる。土壌から牧草が出来るときには、ダニの世話になっているし、チーズが美味しくなるときにもう一度ダニの世話になる。チーズができるためには、二度ダニの世話になっていることになる。
少し昔は「土は汚いという意識を持っている人」に驚いたと書く書物が多かった。最近は、さらに状況は進んで、土そのものを知らないのではないかとさえ思う人たちが東京に多く暮らしているように、学生を見ていて思う。東京の満員電車で生活するには、五感が研ぎ澄まされていては面倒だ。できるだけ、感覚などは閉じていたほうがいい。
しかし、古酒でもワインでも、その感覚をもう一度開かなければ、決して味わえないだろう。その熟成香がなぜか土を連想させるというのは、実に不思議な感じがするが、考えてみれば我々の食事の多くは土から生産されているものであり、土によって活かされているのである。
ローマ帝国が滅んだのは、肥沃な土壌からの生産性だけを目指したために、土壌がやせ細り、そこから、食物生産ができなくなったのだという。文明の維持には良い土が必要なのである。

◎ヨナグニサンに会いに

あれこれ思いを巡らせているうちに与那国島の最終日。与那国島の方言でヨナグニサンを「アヤミハビル」という。「アヤミ」が模様という意味で、「ハビル」が蝶。ヨナグニサンが展示されているというアヤミハビル館へと、疲れた顔の共同研究者を引っ張って行った。

アヤミハビル館。
入り口にはヨナグニサンや与那国島の自然を描いたモザイク画があり、気持ちも最高に高まったが、「本日、休館日」の札が入り口に。後でしらべてみると、7-8月に成虫が見られるらしく、もし入館できたとしても生きたヨナグニサンを見ることはかなわなかったらしい。
ヨナグニサンは羽化して成虫になると、すぐに交尾して産卵する。成虫の寿命は雌で5日-9日、雄で4日-5日。成虫は口が退化しているので蝶のように蜜を吸うことはできず、1週間ほどで餓死して死んでしまうそうだ。
また、いずれ与那国島に来ようと誓い、機上の人となった我々であった。

石垣—与那国便の航空機と与那国空港。

つづく

【バックナンバー】
第1話 ダニはチーズをおいしくする
第2話 ダニとたわむれる夢をみた
第3話 世にダニの種は尽きまじ
第4話 ダニが翔んだ日
第5話 すごいダニ
特別編1 チーズダニを探す旅
第6話 酒と薔薇の日々
第7話 ダニアレルギーには熱烈キス?
第8話 南海の孤島でダニと遊ぶ
第9話 グッズがダニへの見方を変える
第10話 ダニに刺されると穴2つは本当か
第11話 春告ダニ
第12話 ハチドリとダニ
第13話 ダニと僕
第14話 ミクロメガスのダニたち
第15話 トキと空飛ぶダニ