めざすは南極、しかも冷た〜い湖の底。
なぜ行くのか? それは珍しい生き物がいるから!
世界一深いマリアナ海溝の高画質撮影を成功に導いた、
若き水中ロボット工学者が、南極大陸の地を踏み、
過酷な現地調査に同行することになったのだが…。
著者プロフィール
後藤慎平(ごとう しんぺい)
大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた。雑誌「トラ技 jr」にて「深海のエレクトロニクス」を連載中。
今回から3回、本連載の主役である水中探査機について紹介していこう。水中調査の歴史を紐解くと、その起源は紀元前330年ごろまで遡る。かの有名なアレキサンダー大王が潜水ベルと呼ばれる樽状の物に入って潜ったのが最初とされているが、そこから話すのはまた別の機会にして、ここでは現代の水中探査機に特化して説明しよう。南極の雄大な自然や動物に期待して本連載を読んでいる方は、今しばらくお付き合いください。さまざまな研究の裏には「技術者アリ」ということだけ伝わればと思う。
水中探査機の中でも「動くもの」としては、本連載の主役として登場して、南極で「KISHIWADA」と名付けられた「ROV(アールオーブイ、Remotely Operated Vehicle、遠隔操縦式探査機)以外にも、AUV(エーユーブイ、Autonomous Underwater Vehicle、自律型水中探査機)やHOV(エイチオーブイ、Human Occupied Vehicle、有人潜水船)がある。
探査機の歴史としては先ほど少し触れた、アレキサンダー大王の事例を除外しても有人潜水船が最も古く、日本では1929年に西村一松氏が設計した「西村式潜水艇」が最初とされている。
西村式潜水艇は全長約10m、幅約1.8m、最大潜水深度300m、搭乗員4名で、バッテリでスクリューを動かす電機推進式であった。
1960年代に入ると、有人潜水艇は「より深く」潜ることが求められるようになり、1960年にはオーギュスト・ピカールが設計した「トリエステ」が、地球最深部のマリアナ海溝チャレンジャー海淵への潜航に成功した。
トリエステは全長18m、幅3.5m、搭乗員2名で、搭載したバラスト(おもり)の重さを利用して潜航する。海底に到着するとバラストを半分ほど投棄して浮力を調整して、調査が終わると残りのバラストを捨ててさらに浮力を得て海面まで浮上するのだ。このバラストの投棄(切り離し)には電磁石が使用され、万が一、電気系統のトラブルでバラストが投棄できない場合でも、自重で落下する設計となっていた。
トリエステの地球最深部への潜航から間もない1968年には、日本でも有人潜水船「しんかい(初代)」が開発された。全長約16.5m、幅約5.5m、搭乗人員4名、最大潜航深度600mで、「西村式潜水艇」と同じくビューポートやマニピュレータを装備していた。これは、後に「しんかい2000」へと引き継がれるまで活躍した。
人々の探求心は尽きることはなく、さらに深い海底を目指して開発された「かいこう(初代)」は、日本で初めてとなるFull Depth探査機(地球上のどの深度にも潜航可能)として設計された。世界でも珍しいランチャー・ビークル方式が採用され、大深度への潜航を可能とした。これは、海底付近で親機(ランチャー)から子機(ビークル)が分離し、ROVの最大の課題ともいえるケーブルへの潮流の影響を軽減する方式である。ランチャーは母船からの約1万mの1次ケーブルで繋がれ、ビークルはランチャー内に格納された2次ケーブルで結ばれている。
近年は、ケーブルに拘束されるという課題を解決するため無索式の無人探査機が開発されるようになった。AUVや水中グライダーが代表的で、内部に搭載されたコンピュータにより自律的に探査を行うことができる。
AUVの開発もROVと同じく1980年代から行われてきたが、当時はまだ要素技術開発が主であった。1990年代に入ると高性能なマイクロコンピュータが普及し、開発は一気に活発化した。日本でも1996年に東京大学が「R-One」ロボットの初潜航に成功し、1998年にはJAMSTECも「うらしま」の開発に着手した。
AUVの最大の課題ともいえる航続距離の向上に向けた要素技術研究も行われている。AUVの多くは内蔵バッテリによって稼働するため、バッテリの性能が航続距離にも影響する。「うらしま」も当初はリチウムイオン電池を主電源とする設計であったが、搭載するバッテリの体積に対するエネルギー密度を考えると、ガソリン・エンジンなどの内燃機関には遠く及ばなかった。そこで考え出されたのが燃料電池だった。
水の電気分解を応用して考え出された燃料電池は、機体に搭載した酸素と水素を反応させることで電気(と水)を生成する仕組みである。しかし、ここで問題となったのが、水深3000m以上の高圧環境で水素と酸素を反応させる技術であった。
酸素は「しんかい6500」でも使用されている、高圧ガスを耐圧ボンベ内に封入する技術が既にあったが、水素を封入するには他のガスよりも高い圧力に耐える必要があるため、耐圧ボンベの大型化は避けては通れない。搭載する部品が大きくなると機体も大型化し、その分、燃費も悪くなる。
「うらしま」では「水素吸蔵合金」という水素を吸収する特殊な合金を採用したのだ。金属の分子間に水素を蓄積する技術で、水素ガスに比べて約1/1000まで体積を小さくすることできる。これにより「うらしま」は燃料電池の小型化に成功し、2005年には317kmの連続航行に成功した。