著者プロフィール
後藤慎平（ごとう　しんぺい）
大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士（工学）。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた。雑誌「トラ技 jr」にて「深海のエレクトロニクス」を連載中。

【バックナンバー】
第1話　日本出発
第2話　フリーマントルから南極へ
第3話　暴風圏突入！
第4話　上陸訓練はペンギンと一緒に
第5話　しらせを発艦！ 南極大陸に上陸！
第6話　南極への熱き想い
第7話　南極観測船の模型の世界
第8話　きざはし浜小屋生活、はじまる
第9話　調査地「長池」は美しかった
第10話　南極のクリスマス・イブ
第11話　スカーレンの小事件
第12話　ROVは動くのか、の前に風呂
第13話　しらせの年越し蕎麦は海老天2本
第14話　南極のおせちには愛情が詰まってた
第15話　ブリザード襲来、でも調査開始
第16話　長池、くわい池、仏池！

 

めざすは南極湖底生物！

水中ロボットを背負って

 

第17話

世界初！？ オーセン湾の潜水調査

文と写真 後藤慎平（水中ロボット工学者）

前日のくわい池、仏池調査の熱が冷めやらぬ翌日は、ROV調査と並行して行われていたサンプル採取の後処理を行った。水やコケのサンプルをナンバーリングしたり冷凍保存するために小分けにしたりする作業である。
ただ、この作業に私のようなロボット屋さんの出番はない。下手に手伝って間違ったらエライことになるので、隣のラボテントでROVをメンテナンスすることにしたのだが、お昼前には終わってしまった。お昼ご飯を食べながら、午後から何をしようかと話していると、極地研のTさんから「オーセン湾に潜って見たら？」という提案があった。
オーセン湾とは、きざはし浜の目の前の海のことで、湾の北側が開けており南極海に繋がっている。そのため、ペンギンは毎日のように来るし、ときどきアザラシも日向ぼっこに来る面白い場所だ。

恐らく海の中には彼らのエサとなる生物も豊富にいるのだろうが、ほぼ1年を通して海面が氷で覆われており、冬場には昭和基地からきざはし浜まで雪上車で乗り入れるくらいなので、分厚い氷の下での詳細な潜水調査をしたことがないという。
こんな話を聞いたら潜らずにはいられない。ひょっとすると、とんでもない“お宝”が眠っているかもしれない。早速、午後イチでROVを潜航させることにした。干満の差が大きく、満潮時には浜辺まで海面の氷が乗りあげるほどなのだが、干潮時には氷が後退して海面が現れる。小屋を出て周囲の浜を見渡すと、徒歩数秒のすぐ目の前に海面が現れている場所があった。これは好条件。

◎世界初潜航！

湖沼調査の際は、重い発電機の運搬が大変なため、大型のバッテリーでROVシステム全体を動かしており、調査には時間的な制限があった。しかし、この場所なら小屋から予備の発電機を運べる距離である。
あっという間に準備が整い、いざ！ 南極海、オーセン湾に潜航を開始！と、思ったが、ここも驚くほど遠浅である。ROVを持って1歩1歩、足元を確かめながら南極の海の中へ入って行く。くるぶしの上くらいの深さのところまで来ると、海面に薄い透明な氷が張っていた。
薄いといってもそこそこの強度がある。とてもROVでは砕氷は出来そうにない。いったん小屋に戻ってゴムボートのオールを取ってきた。大きく振りかざしてバリバリと氷を割ってROVの航路を確保する。端から見ていたらきっと凄く不思議な光景だったに違いない。
1時間ほどかけてROVの潜航準備がようやく整った。白夜とはいえ既に日が傾きかけていて少し寒い。2時間が限界だろう。意外と重かった発電機の意味を見失うが、きっと人類が見たことのない世界が待っていると信じてROVを前進させる。
水深1mほどの浅い海底が続いていたかと思うと、急に海底が見えなくなり眼前にモヤモヤとした雲のような物が現れROVを覆った。海底が見えなくなったことでカメラには青い海と「すじ雲」のようなモヤが映し出され、まるで雲の中を飛行しているような気分になる。どうやら「アイスアルジー」という海氷の底面に付着した珪藻類や微生物のようであるが、後で映像を見た極地研のTさんも見たことがないと話していた。

しかし、依然として海底が見えない以上、気を抜くことは出来ない。雲の下には何があるのか？そんな思いでゆっくりとROVを潜らせていく。すると、突然、すーっと雲のようなモヤを抜けて海底が見えた。雨雲の中を飛行していた飛行機が高度を下げて都市の明かりが見えた時の感じに似ている。そして、同時にひどく驚いた。
「なんじゃコレ！？」

海底一面に何かゴロゴロとしたものが散らばっているのである。それも、見渡す限りどこまでも続いているのだ。これまで、いろんな海に潜ってきたが、こんな海は見たことが無い。一体なんなのか？操縦画面の映像からはまだ正体が分からない。海底資源のマンガンノジュールか！？だとしたら大金持ちだ！さらば！隙間風の我が家！（※南極条約により資源開発は認められていない！）
はやる気持ちを抑えてROVをゆっくりと海底に着底させる。そして、その正体に改めて目を疑った。なんと、海底一面を覆いつくすおびただしい量の貝（ホタテの仲間）と棘皮動物（ウニの仲間）だったのだ。

近年、ウニが大量繁殖して海藻を食べつくし、魚や貝が棲めなくなる「磯焼け」が全国的に問題となっており、ウニが覇権を握っている海域は何度か見たことがあったが、ここでは仲良くウニとホタテがコロニーを形成している。いや、むしろホタテの勢力が圧倒的に上回っている。しかも多くのホタテが稚貝を背負っているではないか。恐るべき生命力。興奮を抑えつつ、さらなる発見を夢見てROVを進めると、あることに気付いた。
「なんかウニの形、変じゃない？」
パッと見た感じだとキタムラサキウニのような形状なのだが、何故かどのウニも上の面に皿のような物がある。実はウニじゃなく首から下が砂に埋まったカッパか？そんなバカげたことを思いながら、ROVをウニのすぐ近くに着底させてカメラでよく見てみると、どうやら皿に見えたのは貝の殻で、見渡す限りどのウニも殻を被っている。なるほど。外敵から身を守るためにカムフラージュしているのだ。
「南極のウニも、なかなかやるな。」
なんて、のんきなことを思っていると、突然、操縦画面が大きく揺れてROVが浮上を始めた。いや、浮上なんて穏やかな状況ではなく、何かにケーブルを引っ張られたように一気に浮き始めた。慌てて機体を立て直そうとするも、コントロールを失ってグルグルと錐揉み回転を始めて、あっという間に海面の氷が見えた。「危ない！ぶつかる！」と思い、システムの緊急停止ボタンを押したところで回転と浮上が止まった。何だ？ペンギンか何かがROVケーブルを引っ張ったのか？ひとまず状況を確認するために各スラスターを動かしてみる。すると、潜航をさせようとすると再び錐揉みのように機体が回転を始める。どうやら片側のスラスターに問題が起こっているようだった。このままで調査が続行できない。一度、ROVを揚収することにした。そして、陸に揚げたROVを見て愕然とした。様子を見に来ていた筑波大のSさんも思わず声を上げる。
「マジかぁ…」
ROVの左側の垂直スラスターに大きな貝が詰まっていた。どうやら舞い上がったホタテを巻き込んだらしい。殻を取り除いて動作チェックをすると問題なく稼働し、ホッと胸をなでおろす。

◎さらに潜る！

改めてROVを潜航させる。再びアイスアルジーの雲の中を抜けて、今度は少し沖合に出たところでROVを着底させる。水深は約14mだが、海面が分厚い氷で覆われているので光が届かず少し薄暗い。海底には相変わらずホタテとウニがビッシリ。突然の異質な訪問者に驚いたホタテがパクパクと貝の殻を器用に開閉させて泳ぎだす。先ほどもこうやって泳ぎだしたホタテがスラスターに詰まったようだ。邪魔して御免よ。
ROVのケーブルは100mなので、限界まで沖合に出てみることにした。次第にホタテとウニの密度が下がり、代わりに他の生物が見られるようになってきた。なにやらブヨブヨとした腸のような生物や深海ではおなじみのクモヒトデ、海底から生えているように見える白いウミユリのような生物の群集に、キュウリのような色とトゲっぽいものがある生物などなど、多種多様な生物が棲息している。これらは、ヒモムシの仲間やケヤリムシの仲間、イソギンチャクの仲間のようだった（採取してDNAから種の同定を行った訳ではないので、ここでは「仲間」と記載）。

ひと通り周囲の状況の観察を終えてROVを回収する。しかし、想像以上に生物が豊かであったことから、更なる興味が湧いてきた。そこで、今度はきざはし浜の東側からアプローチするルートでROVを潜らせてみることにした。先ほどの潜航地点とは直線で500mほどしか離れていないのだが、深度が少し変わっただけでホタテやウニの密集度が変わったことから、近距離でお生物相に変化があるかもしれないと考えた。
そして、いざ潜ってみると…、なんと、先ほどの海域とは全く違った風景である。浅瀬の後に急激な傾斜があるのは同じなのだが、そこにはホタテもウニも見当たらない。辛うじてヒトデが1～2個体いる程度で、砂漠のような風景が続いている。おまけに水の透明度が非常に高く水中を潜っているように感じない。

湾の中心に向けてしばらく航走していると、海底に白い生物が見られるようになって来た。恐らく、最初の海域にもいたゴカイの仲間と思われる。が、しばらくして目を疑った。海底一面に花畑のように棲息しているのである。見渡す限り、湾の深部方向へどこまでも続いている。

最初の潜航ポイントからたった500mくらいしか離れていない場所で、しかも今回もROVを湾の深部に向けて航走させているので、どこかでホタテやウニが見え始める生物相の変化ポイントがあるはずだが、あいにくROVのケーブルが足りずにその変化を捉えることは出来なかった。

◎ひとつの仮説

私はこのとき、ある仮説を組み立て始めていた。今、目の前にお花畑のように海底一面に棲息するケヤリムシの仲間（恐らくカンザシゴカイの仲間）は、近くで観察しようとROVを寄せると、「ヒュッ！」と砂の中に隠れてしまう。日本の近海でも見られる生物だ。
彼らは地中に石灰質の「棲管」（ハオリムシの棲管と同様のもの）を作っている。敵から身を守るためにそこに隠れるのだが、きざはし浜小屋から少し内陸に歩いて行くと、この棲管が地表にたくさん落ちている場所がある。それも、かなりの量で、誰かが食べてココに捨てた貝塚じゃないか？と思うほど。海からは数百mしか離れていないが、現在は海と完全に隔たれている。しかも、落ちている棲管はやたらと硬く、ちょっとやそっとじゃ割れない。
さらに、きざはし浜の波打ち際にはアザラシのミイラがある。過去にサンプルを持ち帰った隊員が年代測定をしてみたところ、約2000年以上前のものだったことが分かっている。
つまり、この浜は2000年近く前から現在のような姿であったと想像でき、それよりも何千年も前には、内陸まで海が広がっていたとも考えられる。そしてそこには、ROVで見ているようなケヤリムシのコロニーが広がっていたのかもしれない。もしかすると、彼らはシーラカンスやオウムガイと同じ「生きた化石」なのかも！？
そんなことを考えながら画面を見ていると、腹の奥底から背筋にかけてゾワゾワともワクワクとも取れない、なんとも不思議な思いがこみ上げてくる。ひょっとすると、この海のもっと深くには、人類が見たことのない世界や発見があるかもしれない。そう思うと、ROVのケーブルの長さを100mで区切ったことが悔やまれ、また絶対にこの海に潜るという目標が生まれた瞬間だった。

つづく