めざすは南極、しかも冷た〜い湖の底。
なぜ行くのか? それは珍しい生き物がいるから!
世界一深いマリアナ海溝の高画質撮影を成功に導いた、
若き水中ロボット工学者が、南極大陸の地を踏み、
過酷な現地調査に同行することになったのだが…。
著者プロフィール
後藤慎平(ごとう しんぺい)
大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた。雑誌「トラ技 jr」にて「深海のエレクトロニクス」を連載中。
例年、何かと忙しい年末年始は、だいたい12月30日ごろになると仕事のメールも落ち着いて、散らかり放題の研究室や自宅の片づけをするのが恒例だ。ただ、2017年の年末はいつになく忙しかった。前話までのとおり、12月29日の朝まで南極大陸「スカーレン」のカブースで、「しらせ」に帰れるかどうかの瀬戸際に立たされていたからだ。
天候が回復して無事に「しらせ」に戻っては来たものの、次に船を出発するのは、早ければ1月2日である。土日祝日が関係ない南極においても、1月1日だけはヘリコプターも飛ばさず、ゆっくりするのが決まりだ。
1月2日の朝に出発するということは、前日までに持ち出す追加物資の準備を終わらせなければならないので、私がいる野外観測チームはゆっくりもしていられない。1月以降に使用する観測機器や食料は船倉や冷凍庫にうずたかく積まれている。まずはこれを引っ張り出して仕分けをして持ち出す準備をしなくてはならない。束の間の年末は、ほぼこの作業に追われた。
忙しいとはいえ、生活インフラの整った「しらせ」で寝起きできるのは、きざはし浜小屋やスカーレンのカブースと比べるとかなり快適。強風の中、タイミングを見計らってトイレに行かなくていいし温かいお風呂もある。
しかし、快適さとは引き換えに仕事もやってくる。「しらせ」に戻ればメールを見ることが出来る。これがいけない。たかだか2週間ほどしか野外に出ていないと、パソコンを開くとメールを見る癖が抜け切れておらず、ついつい、メールソフトを立ち上げてしまう。案の定、いくつか急ぎのメールが入っていた。
南極観測隊に割り当てられるメールの使用量は1か月3MBなので、船内で使用できるメールアドレスは親族か近しい人か、よっぽど急ぎの仕事の相手しか教えることはない。おまけに、私の場合はネットの繋がらない野外に2か月間出てしまうため、職場の上司や仕事先の人にも「メール送っても見れないから!」と言っていたのだが、ちゃんと伝わっていなかったようだ。まぁ、「そうは言っても見れるんでしょ?」と思ってしまうのだろう。ぜひ、世のデジタル世代には、一切合切の情報通信手段が経たれてデジタル難民になる感覚を味わっていただきたい。ある意味、デジタル・デトックスになって良いかもしれない。
まあ、見てしまったものは仕方ない。いや、「野外だったので」と、シラを切り通せば済んだかもしれない。ひとまず、急ぎのメールを片付けて、次の出発に向けて自分の身支度を整える。スカーレンで痛い目にあったので頭痛薬の補充も忘れずに。
そうこうしていると、昭和基地滞在組が「しらせ」に戻ってきた。2週間ぶりに会うが、人によっては真っ黒に日焼けをしていたり髭が伸びまくっていたりで、すっかり人相が変わっている。昭和基地に居れば毎日のように顔を合わせるが、野外に出てしまうと2週間まるっきり顔を合わさないので、サングラスを掛けていようもんなら余計に誰かわからないのであった。
12月30日にはほぼすべてのメンバーが「しらせ」に戻り、艦内は一気に賑やかになる。そうなると、「昭和基地はあーだ!こーだ!」「きざはし浜はあーだ!こーだ!」「氷河チームは戻ってこないのか!?」「ペンギン(チーム)もいねぇ!」と、人生初南極の感想を互いに語り合うのだ。
だが、そんな時間もあっという間に終わる。みんなも「しらせ」滞在は3日程度しかないので、家族にメールをしたり持ち出す物資の準備をしたりと、限られた時間を有効に使おうと、思い思いに過ごす。
そして、12月31日。仕事も準備も落ち着いて、昼食後に国土地理院のTさんと自室でまったり過ごしていると、職場の上司から1通のメールが来た。
「今年も1年おつかれさま。そっちはどうだい?日本では紅白が始まりました。」
そうか。こちらはまだ昼ご飯を食べて間もない、太陽がさんさんと輝いている時間だが(白夜なので夜でもさんさんと輝いている)、日本では紅白歌合戦が始まったのかと、見れるはずもないテレビのことを思い出す。
と、ここで思いついたのが、インターネットで日本の様子が見れないだろうか?ということ。幸いにも、昭和基地沖に接岸中の「しらせ」は、辛うじて基地のインターネット回線が繋がる。動画などの重いデータ通信は禁止されているが、文字データが基本なニュース・サイトくらいは見られる。ただ、抑揚のない文章を読んでも、淡々とした感情しか湧いてこない。それでも、なにか南極らしいことをしたいなぁ~と思っていたら、いつも聴いているインターネットラジオのリンクに目が留まった。
このインターネットラジオのサービスは、接続する端末(パソコンやスマホ)が、日本のどの地域にいるかを自動で識別して、自分のいるエリアのラジオ局が聴ける仕組みになっている。プレミアム会員になれば日本全国どこにいても、サイトに登録されているラジオ局はエリアにかかわらず自由に聴くことが出来るのだが、無料会員はエリア外のラジオ放送は聴く(例えば東京に居て九州のラジオ局を聞く)ことが出来ない。なので、当然、海外からも聞くことはできないのだが、ここは南極・昭和基地。どこの放送局が繋がるのだろうか? と、興味がわいてきた。昭和基地とはいえ海外だからそもそもエリア外なのか?それとも日本のどこかに繋がるのか?妙な探究心がわいてくる。試しにサイトを立ち上げてみると、エリアを表す部分に「TOKYO」の文字が!すかさずTOKYO FMを選局してみる・・・おぉぉっ!いつも聴いてるパーソナリティの軽快なトークがっ!
しかしなぜTOKYO?!職場で「南極に行く」と言った際に、「じゃあ国内出張だね」と言われたのは冗談ではなかったということ?!いや、待て、南極条約はどうなる?ここは日本であって日本ではない。南極に間借りしているだけだ。事情を通信担当の人に聞いてみると、あっさりとした返事が返ってきた。それは、昭和基地のインターネット回線は東京・立川にある国立極地研究所を経由している。だからIPアドレス(インターネット上の住所のようなもの)はTOKYOエリアになるので、自動的に「TOKYO」が選局されるようだ。なるほど。仕組みを知ってしまえば「あ~なんだ」という感じもするが、14000kmも離れた地で、いつも聴いてるパーソナリティの声が聴こえてきたときの感動はちょっと忘れられないかもしれない。
ところが、そんな感動も束の間、同じく「しらせ」に戻った人たちもインターネットに繋げるため回線が込み合う。ラジオの音声も2~3秒流れて数分止まる状況が繰り返されるばかりで、まったく放送の内容が分からない。これ以上、サイトを立ち上げていても他の人の迷惑になるので、この感動はものの数分で終了したのだった。
南極ではとにかく日本らしい年越しが出来ない。紅白歌合戦も見れなければ、知人友人に「あけおめ」メールを送ることもできない。しかし、そんな日本から遠く14000kmも離れた地で活動する我々に、少しでも日本と同じような年末年始を迎えて貰おうという気遣いをしてくれるのが「自衛隊」の皆さんである。
まず、司厨からは夕食に年越しそばがふるまわれる。12月31日になるとスーパーでは値上がりする海老のてんぷらが、なんと2本も載った豪華な年越しそば。しかも出汁が温かいのがうれしい。寒い外でふーふー言って食べたい気もするが、あいにく外は白夜な上に氷点下なのでせっかくの雰囲気とそばが冷めてしまう。
続いての風物詩は除夜の鐘である。これは「しらせ」応急工作員のみなさん渾身の力作で、南極でもちゃんと鐘がつけるのである。煩悩があったとしてもコンビニすらない南極じゃ、どうすることもできないが、これもまたニクイ演出である。どことなくこぢんまりとしているが、細部まで作り込まれていて愛情を感じる。鐘の音は「ゴーン」ではなく「チーン」とも「リーン」ともつかない、高めの音色。ホテルのフロントなどに置いてある呼び出しベルの音と言えばイメージしやすいかもしれない。
さらに、極めつけは立派な門松が雰囲気を盛り上げてくれる。後援会から寄付された立派な門松が隊員公室の前に飾られる。もうここまで来ると気分は年末年始である。
新年を迎える深夜0時には、「しらせ」が汽笛を鳴らして越年を祝うと艦内放送が流れていた。これは起きておかねば!と、思ったのが午後8時過ぎ。そこから深夜0時まで起きている…、さて何して? 何度も言うが、テレビもラジオもネットもコンビニもない。世間の様子でも見るかと、観測甲板の水密扉を開けて外の様子を見てみる。白夜が目に染みるので、ものの数秒で自室に引き返す。同室のTさんから「早かったですね(笑)」と声を掛けられ、結局、やることを失った二人の大人は、仲よく「ドラえもん」を見て過ごすことにした。