めざすは南極、しかも冷た〜い湖の底。
なぜ行くのか? それは珍しい生き物がいるから!
世界一深いマリアナ海溝の高画質撮影を成功に導いた、
若き水中ロボット工学者が、南極大陸の地を踏み、
過酷な現地調査に同行することになったのだが…。
著者プロフィール
後藤慎平(ごとう しんぺい)
大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた。雑誌「トラ技 jr」にて「深海のエレクトロニクス」を連載中。
翌12月25日は、明け方からの強風で小屋に小石が当たる音で朝4時に目が覚めた。この日は朝1便でスカーレンへの移動のため5時半起床の予定だったが、強風で昨日準備した物資が飛ばされていないか気になり、再び眠りにつくことができず、トイレのついでに外に出て確認してみることにした。
「眩しい…」
朝5時前なのにサングラスをせずに外に出たことを後悔するくらいの日差し。お陰で小屋に戻っても目が冴えてしまって二度寝には至らず、他の人を起こさないように息を殺して過ごすことになった。ほどなくして起床時間となり、皆が起きてせっせと身支度を整える。今日からしばらくはこの小屋に戻って来れないので、「あ!忘れてきた!」ということのないように、荷物を入念にチェックするのだ。24日からしばらくは昭和基地周辺の天気が崩れるらしいので、延泊も覚悟しなければならないが、昨日今日、南極に来たような私にとっては、スカーレンがどのような場所かも分からないので、「しらせ」から持って来た装備品をそのままカバンに詰め直して、いざ出陣となった。
きざはし浜からスカーレンまではヘリコプターを使って約20分ほどで到着するのだが、景色は圧倒的に異なる。ヘリコプターが着陸場所に降りると、目の前には巨大な氷床の壁がそびえていた。さらに、周囲には巨大な岩がゴロゴロとのっている。ヘリコプターが去って音がしなくなると、きざはし浜と同様にシンとしているように思ったが、耳が慣れてくると、チョロチョロと何かが流れる音が聞こえてきた。ひとまず、ベースキャンプの立ち上げのためカブースのほうへ行って見ると、雪解けの水が川のようになって流れていた。それも、結構な量である。
カブースの中はとても狭く薄暗く、そして独特のにおいがした。生活臭とか体臭とかではなく、古い機械独特の油のにおいというのが一番しっくりくる表現かもしれない。ひとまず、通信用の無線機を立ち上げるため、アンテナの設置を行った。ほどなくして昭和基地への通信網が確立し、一行が無事にスカーレンに到着したことを報告すると、既に時間はお昼となっていた。カップ麺で簡単に昼食を済ますと、この日は午後から2チームに分かれての調査となった。まず1チームは、明日からのスカーレン大池の調査に向けた予備調査。もう1チームはスカーレン大池周辺の地形調査。私は後者のチームに同行することになった。ただ、この頃から何か自分の体の中にかすかな異変を感じ始めていた。
スカーレン周辺の地学調査に出発する頃には周辺が雲に覆われ、風も強くなりはじめていた。急激に天候が崩れる予報ではなかったが、安全第一で2~3時間で戻ろうということになった。メンバーは私を含めて3名。昼食をすませた後、私たちのグループは意気揚々とスカーレンの探索に出掛けた。
ゴロゴロとした岩場だったスカルブスネスと違い、スカーレンはなだらかな斜面が続くため歩きやすい。足元の岩石は斑点模様かと思えばマーブル模様になったり赤茶けた岩になったりと、さまざまな表情を見せてくれる。
ベースキャンプを出発して30分ほどで、スカーレンを見渡せる山の頂上に到着した。ここは国土地理院により三角点に設定されており、目印となる金属板が埋め込まれている。国土地理院は、南極で活動する人が道に迷ったり観測を失敗したりしないよう、正確な地図を作るために必要なデータを収集すべく、日本の国土だけではなく14000kmも離れた南極でも活動しているのだ。何年も前にこの場所に来て、基準点を設置した人も同じ景色を見たのかと思うと、ぐっと胸に迫るものがあった。今もこうして観測ができるのは、こんな遠い極限の場所にまで来て仕事をしてくれた人たちのお陰なのだ。
しばらく感動に浸っていたかったが、明らかに周囲の天気が崩れてきて風も強くなり気温が下がっていたので先を急ぐことにした。僕たちのチームは、残りの数時間で周囲の湖沼や地形の様子を確認しなくてはならないのだ。ただ、この頃には、私の体調もまた明らかに変調をきたしていた。偏頭痛である。
実は、南極に行く前からずっと懸念事項だった片頭痛は、寒さと肩こりが原因であることは自覚していた。そのため、万全の体制で南極に来たのだが、この頃から少しその前兆が出始めていたのだ。そのため、バファリンを服用して探索を続けることにした。しばらくすると頭の痛みも落ち着いてきたが、南極の天気は変わりやすく、さらに風が強くなり寒さを増してきた。水分補給と暖を取る目的で、ベースキャンプで保温水筒に入れてきたアツアツのお茶を飲むが、すっかりぬるくなっていた。空を覆う雲も厚くなり周囲も薄暗くなってきたため、スカーレン大池の北側の湖沼の湖面状況だけ確認してベースキャンプへ戻ることにした。
ベースキャンプが見える位置まで戻ってきたのは夕方16時頃だった。スカーレン大池で調査の準備をしていた別のメンバーは既に撤収していて、カブース周辺でテントの設営準備をしていた。寒さにめっぽう弱い私の寝床は、テントではなくカブースを割り当てて貰っていたので、ベースキャンプに着くなりカブースに入って倒れ込んだ。寒くて、寒くて、とにかく寒くて仕方がなかった。夏隊員にも、万が一の時を考慮して中綿入りの防寒着が貸与されていたので、それを引っ張り出して羽織ったが、まだ寒気が収まらない。先遣隊として航空機で南極入りした隊員が私のために厳寒期用のシュラフを貸してくれていたので、そこに潜り込もうかと思うも、履いていた登山靴の紐が雪に濡れて硬くなって脱ぐことができず、体の1/3がカブースから出た状態で力尽きそうになる。「あ、寝たらヤバイのかな?」と、遠のく意識の中で思ったが、徐々に防寒着の中が暖かくなりだしことなきを得た。