VOYAGE

 

3.11の巨大地震に遭遇した地球科学者たちは、

直後から、超巨大地震発生の謎に迫るために始動していた。

"JAPAN TRENCH FAST DRILLING PROJECT"

JFAST(ジェイファースト)と呼ばれる深海底探査航海は、

あらゆることが想定外。まじヤバい!



著者プロフィール
マスターNobu(江口暢久)

京都生まれ。琉球大学理学部海洋学科卒業。東京大学大学院理学系研究科修了。東京大学海洋研究所では、有孔虫の研究で博士(理学)取得。その後、高知大学などを経て、サイエンスコーディネーターとして統合国際深海掘削計画(IODP)にかかわる。現在は、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の地球深部探査センター(CDEX)でサイエンスオペレーションマネージャーとして勤務。仕事柄、世界を飛び回る日々。趣味は、料理と読書と銀塩写真の撮影とカメラの収集。

 

JFAST航海記


第2話

チャレンジのはじまり

 文 マスターNobu

 写真 JAMSTEC/IODP提供

地球深部探査船「ちきゅう」。 (C)JAMSTEC/IODP

◎前回のあらすじ

2011年3月11日の震災で大津波に遭遇した地球深部探査船「ちきゅう」は、多くの人の協力を得て1週間後には八戸港から出航した。傷ついた船体をどうするか、という頭の痛い問題を抱えてはいたが…。
横浜のオフィスで事態の把握と今後の方針を世界に発信し始めた私は、予想をはるかに超えたスピードで行き交う情報を整理して、統合国際深海掘削計画(Integrated Ocean Drilling Program; IODP、アイオーディーピーと呼ぶ)として今後の方針を決める現場に立ち会っていた。
「ちきゅう」復旧を進めながら、この大震災に対してIODPが科学的に貢献できることはなにか。研究者たちは動き始めていた。

緊急掘削!

震災後、すぐに京都大学のジム・モリ教授は、IODPの中央管理組織の末廣潔代表に連絡を取った。
「この未曾有の災害に対して、地球科学ができることは何か?」
モリ教授の方針はすでにその時点である程度決まっていた。つまり、「地震によって動いた断層の滑りのメカニズムを理解すること」が最重要かつ緊急課題であると言うのだ 。そのためには、海底下深くにある断層を見つけ、できるだけ早いタイミングでその断層を掘り抜き、断層のズレによって生じた摩擦熱を測定すべきである、と。緊急掘削の提案だ。
IODPは、モリ教授の提案を受けて、3月26日からエジンバラで開かれた国際会議で検討を始めた。スコットランドの首都に降り立った私は、IODPの航海スケジュールを決める会議に参加、IODPの中央管理組織のハンスクリスチャン・ラーセン副代表から、モリ教授の提案に「ちきゅう」は応えられるかどうか質問を受けた。私は、「緊急掘削の必要性は十分理解しているが、現実的な掘削プランの検討はまだだ」という、地球深部探査センター(CDEX)の見解を伝えた。
エジンバラでは、スコッチも楽しみたいところだが、会議は続く、何しろ時間がないのだ。
航海スケジュールを話し合ったあと同じエジンバラで 、世界中の研究者から寄せられる提案の中から、どれを採用して、巨額の費用を費やして掘削を進めるかを話し合う、科学計画委員会が開かれた。そこに集まった約60 人の参加者たちは、大震災の犠牲者と被災者に弔意を示し、科学掘削の貢献を確実に進めることを決め 、実行するのための詳細計画検討グループを立上げることを満場一致で議決した。
4月15日に、検討グループを正式に起ち上げ、2か月後の6月8日までに中間報告をIODPの中央管理組織に提出。中間報告でゴーサインが出たら、8月1日までに掘削の具体的なプランを提出せよ、という。もちろん、通常なら提案書提出から掘削まで5年ぐらいかかってしまう、それを1年程度でやり遂げなくてはいけない。
モリ教授のプランが急を要することは理解している。大震災に対する科学的な貢献、そして新たな知見が得られることには気持ちも高まる。だが、スコップを持って庭に穴を掘るわけではない。大きな研究船を動かして、深海の海底下を掘ろうというのだ。果たして可能なのだろうか。

驚くべき事実

この時期、水面下では霞ヶ関も巻き込んで、横須賀の海洋研究開発機構(JAMSTEC。海洋科学技術を担う研究開発機関)が巨大地震に対して何ができるのか、同機構理事(当時)の平朝彦と地球深部探査センター(CDEX)のトップ(当時)、東垣とのあいだで話し合いが始まっていた。
この水面下の話は、その時すでに進行中の調査が次々と明らかにしていた、驚くべき事実をもとに進められていた。
大震災の震源ともなった東北沖では、遠くはハワイの島々をのせた太平洋プレートが、陸側の北米プレートの下に年間約10cmの速さで、ずぶずぶと日々沈み込んでいる。いわゆる「プレートテクトニクス」と呼ばれるメカニズムの営みだ。
深海底には、この 2つのプレートが交わる境界があり、それが日本海溝である。沈み込む太平洋プレートとその上になる北米プレートの境界の一部が地下で固着しているので、日々沈み込んでくるプレートの運動によって、そこに歪みが蓄積するのだ。
2つのプレートの境界は「断層」となっていて、その断層が破壊され、滑り、ズレるという、歪みが解消される現象が地震であり、特に「海溝型地震」と呼ばれる。断層がズレるとき、海底面が上下に変動すれば、これがその上にある海水を動かすことになり、津波となる。
3.11の巨大地震の際の断層の動き、その滑った規模について、地震後すぐにいくつかのモデルが発表された。モデルによって違いはあるが、どのモデルも、断層が動いた領域が南北に約500km、東西に約200kmに達しており、断層は実に20mも滑っていることを示していた 。
三陸・宮城・福島沖の震源域で起ったことにも驚いたが、さらに日本海溝付近まで断層は滑っており、その付近に最大30mを超えて滑ったエリアがあることも発表された。
この広い範囲での断層の滑りおよび大きな滑り量が、今回の地震の放出したエネルギー量マグニチュード9という日本の地震記録上最大の地震となった理由である。
それまでの知見では、地下20kmあたりで発生した地震による断層の滑りは、海底までは達しないと考えられていた。本当にこれらのモデルが示すように、断層は日本海溝の海底面まで滑ったのだろうか? 
JAMSTECは、震災直後の3月14日には、今回の地震で海底地形とその地下の構造がどのように変化したのかを明らかにするために、震災当日に小笠原で調査をしていた海洋調査船「かいれい」を、日本海溝へ緊急派遣した。
地震の前と後との差を比べるために、船を動かして調査をする海域(調査側線)は1999年の調査と同じとし、日本海溝をまたぐ東西にのびる側線が選ばれていた(図1)。

図1. 黒色の太線が「かいれい」の調査側線の位置。黄色の星は東北地方太平洋沖地震の本震の震央を示している。(C)JAMSTEC

「かいれい」から音波を発信して、海底地形と地下構造を調べる調査から、さらに驚くべき事実が明らかになった。1999年と震災直後の海底地形の違いを比べてみると、日本海溝へ向かう陸側の斜面は10m以上上昇し、水平には約50 m動いていた!!(図2)。ところが、海溝よりも海側で変化は観察されなかった(図3)。

図2. 2011年と1999年の海底地形の比較を詳細に検討すると、移動量(計算値)は東南東に56m、上方に10mと計算された(冨士原敏也ほか サイエンス, 2011より)。(C)JAMSTEC

図3. 海底を横から見た海底地形断面図。赤色の線が2011年の巨大地震後、黒色の線が地震前の海底面。白色に塗られた部分が、地震断層の動きによって地殻内部が変形したと解釈された(JAMSTEC地震津波海域観測研究開発センター 冨士原敏也提供)。(C)JAMSTEC

この時点で結論は出せないのだが、おそらく断層の滑りが日本海溝まで達していて、海底地形が変わったのだろう、と推測できた。変動は海溝付近で一番大きく、かつて観測されたことのない大きさであった。海溝付近の大きな変動が、大きな津波の原因になったのだろう。海溝付近の地下構造の変形も観察され、プレート断層が海溝まで達していることも明らかになった。水面下のさらに下の海底下では心底驚く現象が起こっていたのだった。

2か月後、品川にて

品川駅からほど近い楕円形の高層ビルの27階に、京都大学東京オフィスがある。ふだんは京都大学の教員が一般向けの講演会を開いている、おそらく静かでのんびりとした場所なのだろう。しかし、このときは眺めのいいオフィスの空間を張りつめた空気が支配していた。
震災後約2か月たった5月18日、30人近い研究者と技術者が品川の 同オフィスに集まった。リードするのは、緊急掘削を提案した、京都大学のジム・モリ教授とカリフォルニア大学サンタクルス校のエミリー・ブロツキー教授だ。
エジンバラで決まり、4月15日に予定通り正式に発足していた、詳細計画検討グループの1回目の会議である。何しろ、6月8日には、中間報告を提出、それが通らなければ、震源を掘り抜く研究航海は実現しない。
3日間にわたり白熱した議論がかわされた。巨大地震では、震源から断層が、驚くほど大きく動き、その動きは海底まで達している。そこで研究者たちは、大きく2つの目的をとりまとめた。
1.掘削により、巨大地震の断層を発見し、その断層を含んだ堆積物を手に入れる。
2.温度計を掘削した孔(あな)の中に入れて断層の摩擦熱を測る。
この2つの目的を達成できるならば、緊急掘削計画を実行すべきである、というのが集まった研究者たちの見解だった。

立ちはだかる大きな壁

今回の掘削案は技術的に大変な困難を伴うものになるのは間違いなかった。というのも、水深7,000m、その海底からさらに1,000m下にあるらしい地震で動いた断層を掘り抜き、堆積物を船の上に回収し、なおかつ、小さな孔に細長い温度計を入れて断層が動いたときの摩擦熱を測るのだ。

図4. 研究者たちがめざす緊急掘削計画の概要図。(C)JAMSTEC/IODP

例えてみれば、10階建てのビルの屋上から直径1mmの針金を地面に向けて降ろし、そこから4mの孔を掘る。温度計を設置するには、地面にセットした直径4mmの孔口に、ふたたび10階建てのビルの屋上から1ミリの針金を通す、というようなオペレーションである。
相変わらず時間もない。緊急掘削は、残存するであろう断層の摩擦熱を測るためには、翌2012年7月までに実行する必要があると提言されたからだ。
詳細計画検討グループ会議には、アメリカの科学掘削船ジョイデス・レゾリューション号(JOIDES Resolution)を運航するテキサスA&M大学のスタッフと、私たち「ちきゅう」を運用する地球深部探査センター(CDEX)も参加していた。
研究者の求めるターゲットはシビアであり、今回の提案は特に「ちきゅう」の能力ぎりぎりのところでのオペレーションとなる。ジョイデス・レゾリューション号は、さまざまな理由から、「今回の航海は事実上無理である」と発言。おのずから、緊急掘削の科学目標を達成できるかどうかは「ちきゅう」しだいとなり、もちろん「できる!」と言うしかない状況になっていた。
前述したように、普段は掘削提案書が出てから、実際の掘削までは少なくとも5年間ぐらいの準備期間がある。しかし、今回の計画はそんな悠長なことを言っている余裕はない。
人類史上もっとも過酷な条件での洋上掘削オペレーションを、地震発生から1年半以内に行うことはできるのか…。「できる」と言ったものの、果たして、我々は期待に応えられるのだろうか…。

つづく

【バックナンバー】
 第1話 そのとき、ちきゅうは