MANIA

 

のんびり森の落ち葉の下で暮らす、小さなダニ。

ドイツやフランスではチーズ作りにいそしみ、

アメリカではかつて子供たちのおもちゃだった、健気なダニ。

人にワルさをするダニも少しはいるけれど、

ほとんどのダニは、自由きままに生きる平和主義者なのです。



著者プロフィール
島野智之(しまの さとし)

1968年生まれ。横浜国立大学大学院工学研究科修了。博士(学術)。農林水産省東北農業研究所研究員、OECDリサーチフェロー(ニューヨーク州立大学)を経て、2005年から宮城教育大学准教授、フランス国立科学研究所フェロー(2009年)。2014年4月、法政大学教授に着任。
著書に『ダニのはなしー人間との関わりー』(島野智之・高久元編、朝倉書店)、『ダニ・マニア《増補改訂版》』(島野智之著、八坂書房、2015年)、『日本産土壌動物―分類のための図解検索―第2版』(分担執筆、東海大学出版部、2015年)、『生物学辞典』(編集協力者、分担執筆、東京化学同人)、『進化学事典』(分担執筆、共立出版)、『土壌動物学への招待』(分担執筆,東海大学出版会)、『ダニの生物学』(分担執筆,東京大学出版会)など

 

ダニマニア宣言

やっぱりダニが好き!

 

特別編その1

チーズダニを探す旅

文と写真 島野智之

フランスの食卓には常にチーズが欠かせない。ブザンソンにて(著者撮影)。

◎パリのクリスマス

 ある年、パリでクリスマスを迎えた。冷え切ったパリの街で吐く息は白い。百貨店ギャラリー・ラファイエットもクリスマス一色で、シャネルのウインドウ・デコレーションも見ているだけで楽しい。名物の甘栗売りはそこかしこにいて、買うと紙でできた三角形の筒の中に栗を入れてくれる。
 コンコルド広場には、この時期だけ特設の観覧車が毎年建てられ、そこからパリのロマンチックな夜景を眺めることができる。観覧車は白くライトアップされ、いかにも寒そうな白色なのに、寒空のパリの街には、その白い光がよく似合う。ゴールドに輝くエッフェル塔の光と響き合う光景がまた美しい。

毎年、クリスマスの時期になるとパリの中心、コンコルド広場に観覧車が出来上がる。オベリスクと観覧車(著者撮影)。
 コンコルド広場から続くシャンゼリゼ通り。ここも白を基調としてライトアップされる。たくさんの出店が並び、買い物、アトラクション、そしてホットワインに酔う。シャンゼリゼの横断歩道を渡ると、連なる車のライトの灯りの向こうに凱旋門が浮かび上がる。
 そろそろ帰ろうか。タクシーに乗って、ライトアップされたマドレーヌ寺院の横の前を通り過ぎ、オペラ座が見えたらホテルも近い。その日は一日パリの街を歩き回り、とても疲れていた。

凱旋門に続くシャンゼリゼ通りのクリスマスは、ホットワインの店やクリスマス用品を売る店、ゲームをさせてくれる店など、さまざまな屋台が立ちならぶ(著者撮影)。

◎パリでダニ探し

 日中、僕はパリでダニが作るチーズを探していた。パリの街にあるいくつかのチーズ屋をまわったが手掛かりなし。
 最後に立ち寄った、パリ市役所のそばにあるオーベルニュの食材専門店で「Artisouは知りませんか?(「アルティズゥ」と発音する。僕が探しているオーベルニュでチーズを美味しくするダニのことをそう呼ぶのだ)」と聞くと、お店のご主人は、怪訝そうな顔をして、「Artisouは知らないな」と答えた。

パリ市庁舎のそばにあるオーベルニュ食材の専門店では、チーズのショーケースを食い入るように探したが、ダニチーズは見つからなかった(著者撮影)。
 僕が残念そうな顔をしていると、奥からパンフレットをもってきて、「チーズのArtisan(アルチザン)は、オーベルニュにもたくさんいるよ。この人はとてもすごいから、この人を訪ねたらいい」と教えてくれた。
 アルチザンは、職人あるいは工匠と訳すのがもっともよいだろう。職人的芸術家の意味で使われることもある。発音はアルティズゥとなので、Artisou(アルティズゥ)によく似ている。おじさんがわからないというので、私が「アルティズゥ」と何度も発音したので、この日本人はフランス語の発音が悪いだけに違いないと思ったのかもしれない。
 チーズ職人のパンフレットを見ても、ダニのかけらも載っていない。これ以上ここにいても何も得られないと思い、「メルシーボク、ムッシュー、オールボワー(有り難う御座います。さようなら)」と明るく挨拶をして、店主と笑顔を交わして店を立ち去るが、複雑な心境だ。
 今回の旅では、あまり長くパリには居られない、今日も手掛かりはない。気持ちは焦るばかり。仕方ないので、もう今日は探偵ごっこを止めにして、クリスマスのシャンゼリゼでも楽しもう。一向に進まないダニチーズ探しのために憂鬱になる気持ちを、クリスマスのパリに浮かれる気持ちでぬぐい去ってしまえるわけもなく、先行きは不安……。
 僕のチーズダニの旅はこんな具合に始まった。何の手掛かりもない。まったく先の見えない旅。ところが、帰国して迎えた日本の正月で、思いもよらない出来事が起こり、事態は急に展開することに。そんなこんなで日本とヨーロッパを何度も往き来することになったのだった。

◎3つ目の顔

 日本語では「ダニ」という1つの単語しかないが、一般的な英語には2つの表現がある。「ティック tick」は牛や犬などに取りついて血を吸う大型のマダニ。「マイト mite」はコナダニやハダニなどの小さなダニのこと。
 もっとも、血を吸う大型のダニ(tick)はマダニ亜目のダニだけで、それ以外の6亜目のダニは、すべてmiteであると思えば間違いはない。言い換えると、tickは人間にとって悪いダニ、miteは人間とは関係なく、森の中で自由気ままに生きている、それ以外のダニ。
 ところがフランスには、もう1つダニのカテゴリーがある。「シロン ciron」だ。これこそがチーズダニ。もっとも、ダニにもさまざまな種類があるので(ダニは地球上に5.5万種!)、ここでは広義のチーズダニと呼ぶことにする。つまり、チーズに近寄ってくるダニはなんでもシロン。
 熟成されたチーズからはアンモニア臭がする。このアンモニアにダニが引きつけられるという説がある。もちろん、どんなダニでも引き寄せられるわけではなく、コナダニ亜目のごく一部のダニだけ。穀物についたりするどんなダニでもつくわけではなく、種類もある程度は限られているらしい。

チーズコナダニ Tylorycus casei。ドイツでは、ミルベンケーゼMilbenkäzeと呼ばれる。 Milbe(ダニmite、単数形) käze(チーズcheese)(画:黒沼真由美)。
 さて、このチーズダニ、またの名をシロンは、イソップ寓話にもでてくる。ラ・フォンテーヌがイソップ寓話を基にした寓話詩“Fables”を1668年にあらわしたが、この中の一節で、「Dame Fourmi trouva le Ciron trop petit」という部分がある。
 「アリ夫人はダニを小さすぎると考え、自分は巨大な動物だと思い込んでいた。(ラ・フォンテーヌ著『寓話(上)』今野一雄訳、岩波文庫)」。これはさまざまな動物が、相手のことをあざ笑う場面だ。
 また、1669年パスカルが記した「パンセ」の中にもでてくる。「Qu'un ciron lui offre dans la petitesse de son corps des parties incomparablement plus petites, des jambes avec des jointures」。
 日本語にすると「一匹のダニが、その小さな身体のなかに、くらべようもないほどに更に小さな部分、すなわち関節のある足、その足の中の血管、その血管の中の……(パスカル著『パンセ』前田陽一・由木康訳、中公文庫)」。万物のスケールを大きなものから、小さなものまで並べたときに、そのもっとも小さなものの代表としてダニを用いている。
 つまり17世紀頃までのヨーロッパでは、世の中の小さい生き物の代表として、ダニ(シロン ciron)を引き合いに出していたのだ。日本語にすると何でも「ダニ」なのだが、フランス語だと両方共にチーズにつくチーズダニのことだとわかる。
 取り上げた2冊の本が記されたのは、顕微鏡がようやく開発された時代でもあるが(ロバートフックが『顕微鏡図譜』を記したのが1665年)、顕微鏡が広く普及するまでは、目で見えるもののなかで、水たまりに見えるミジンコと同様に、ダニはもっとも小さな生き物の代表だったのだろう。
 フランスでは、食事の後に沢山の種類のチーズを楽しむ。冷蔵庫がない時代には、チーズにつくダニは身近な生き物の1つだったに違いない。チーズにつくダニを使ってチーズが熟成されるのは、酵母や麹から酒が造られたりしたことと同じなのだろうか。いったい、ダニはチーズに何をしているのだろうか。チーズダニをめぐる謎を解き明かす旅を、皆さんと一緒に楽しむ「特別編」。どうぞお楽しみに。

つづく

【バックナンバー】
第1話 ダニはチーズをおいしくする
第2話 ダニとたわむれる夢をみた
第3話 世にダニの種は尽きまじ
第4話 ダニが翔んだ日
第5話 すごいダニ
第6話 酒と薔薇の日々