EARTH

 

あなたは、巨大地震が来ると思っていますか?

来ると思う人は、備えができていますか?

来ないと思う人は、その根拠がありますか?

地球の内部って、思ったより複雑なんだけど、

思ったよりも規則性があると私は考えているんですよ。



著者プロフィール
後藤忠徳(ごとう ただのり)

大阪生まれ、京都育ち。奈良学園を卒業後、神戸大学理学部地球惑星科学科入学。学生時代に個性的な先生・先輩たちの毒気に当てられて(?)研究に目覚める。同大学院修士課程修了後、京都大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(理学)。横須賀の海洋科学技術センター(JAMSTEC)の研究員、京都大学大学院工学研究科准教授を経て、2019年から兵庫県立大学大学院生命理学研究科教授。光の届かない地下を電磁気を使って照らしだし、海底下の巨大地震発生域のイメージ化、石油・天然ガスなどの海底資源の新しい探査法の確立をめざして奮闘中。著書に『海の授業』(幻冬舎)、『地底の科学』(ベレ出版)がある。個人ブログ「海の研究者」は、地球やエネルギーにまつわる話題を扱い評判に。趣味は、バイクとお酒(!)と美術鑑賞。

 

知識ゼロから学ぶ

地底のふしぎ

 

第10話

想定外と想像内の狭間で(4)

文と絵 後藤忠徳

これまで3回にわたって「なぜ“想定外”の大地震が起こったのか」、その背景を考えてきました。2011年の東北地方太平洋沖地震から、この「想定外」という言葉をよく耳にするようになりました。想定外とは「起きうる事態について想像もできず対策の立てようもなかった」様子を指しますが、「想像したけれども対策を立てなかった」場合も想定外と言えるようです(注1)。今回の超巨大地震は事前に想像もできなかったのでしょうか? それとも想像はできたのに対策をしなかったのでしょうか? 今回のテーマは「想定外と想像内」です。

図1. 陸上のGPS観測(GEONET)から予測した、プレート境界のくっつき具合(固着度)。赤色の地域ほど固着している。詳細は第9話を参照のこと。

前回は、陸上での地殻変動観測によってもたらされた新しい発見を紹介しました(図1)。陸側のプレートと海側のプレートが広範囲でくっついている様子(固着)が2006年に明らかになったのです。おそらくは、このプレート境界の固着部分に蓄えられた歪みが2011年3月11日に一気に解放されて、マグニチュード(M)9の超巨大地震が起きたのだと考えられています。
なんてこった。超巨大地震の5年前には科学的な大発見がなされていたのに、どうしてこの地震を予知できなかったのか? 正確な地震予知はムリとしても、M9の超巨大地震がいずれ起きることすら予想できなかったのか? 地震学者はいったい何をしていたのか?

◎議論は始っていたが……

1つの科学的な大発見や大発明が、"世の中に革命を起こす"と思っている人は、上記の「新しい発見」を知っていた地震学者たちを非難するかもしれません。しかし変革には時間が必要です。
例えば、第6話で紹介したレーダー。電波の反射から雨雲や飛行機の位置を知ることができます。スマートフォンなどで「雨雲レーダー」の画像をみてから外出する人も多いでしょう。このレーダーは1904年にドイツ人によって発明されました。しかし当時は斬新すぎたようで、レーダーが大活躍するのは第二次世界大戦の頃からです。大発見・大発明なのに、それが学問の世界や世の中に受け入れられるのに10年や20年かかるのはむしろ普通のことです。日々のニュースで話題になる「iPS細胞」「新エネルギー」などが世の中を本当に変えていくのにも、まだまだ長い時間が必要でしょう。
では「新しい発見」であるプレート境界の固着の様子は、地震学者たちにはどのように受け止められたのでしょうか? まず解析結果の確からしさが議論になりました。プレート境界の固着部分は海底の下に埋もれています。陸地の地殻変動観測(GPS観測)のみから推測された海底下の状況は信頼に足るものでしょうか? また観測期間の短さも指摘されました。図1は1997年~2001年までのわずか5年間の観測データに基づいたものなのです。

図2. 明治時代以来に行われた三角測量データから求められた、地殻の歪(面積歪)の様子。青色は地殻が圧縮(赤色は伸張)されている地域を示しているが、東北地方には圧縮・伸長の傾向は見られない(やや伸張ぎみ)。第8話でも紹介。

さらに「古い常識」が立ちはだかります。第8話で紹介したように、従来は「東北沖のプレート境界ではM8以下の地震が頻発していて、M9地震をおこすような大きな歪みは溜まっていない」と考えられていました。たしかに過去数百年の古文書などからは、M9クラスの超巨大地震に関する証拠は見つかっていませんでした。また過去約100年間の測量結果をみると(図2)、西南日本(東海・近畿・四国・九州地方)では海洋プレートの沈み込みに伴って陸地がギュウギュウと押されて縮んでいる様子が明らかとなり、「西南日本では地殻に大きな歪みが蓄積されていて、100年~150年毎に巨大地震が起きる可能性がある」と考えられていました。
2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)が起きた直後、日本でもM9クラスの超巨大地震が起きるかどうか? 起きるとしたらどこか? が話題となりましたが、多くの地震学者たちが挙げたのは西南日本(南海トラフ)でした。それに対して、東北日本では陸地が圧縮されている様子は見られませんでした。
果たして真実はどうなのか? そこで(GPS観測網を維持管理している)国土地理院は図1の解析結果を再チェックするとともに、最新のプレートの状況を推測しました。その結果、2010年頃のプレート境界の固着の度合いは2000年頃よりも弱まっていることが明らかになりました(図3、注2)。この結果を見た地震学者たちは、悩みながらも新しい発見と古い常識のすり合わせを行い、「宮城県~福島県沖でのプレート境界は1997年~2000年頃に一時的にくっついていたが、なんらかの理由で剥がれつつある」と判断しました(注3)。

図3. 陸上のGPS観測(GEONET)から予測した、プレート境界のくっつき具合(固着度)。赤色の地域ほど固着している。2007~2010年(右)の頃は、1997~2000年(左)の頃より東北沖での固着度が低下している。注2の第16図を改変。

ただし地震学者たちは新しい発見を無視して、古い常識に固執していたわけではありません。ある著名な地震学者は、一定間隔で繰り返す宮城県沖のM7級大地震(いわゆる宮城沖地震)の規模や深度に大きなばらつきがあることに気づき、「この地域の地震発生は単純なモデルでは説明できない」と2006年に国際学術誌で発表しています。同文中では、プレート境界の固着の様子に基づき「プレート境界周辺にたまった歪が一気に放出されて、巨大地震・巨大津波を引き起こす可能性がある」とも述べています。
この地震学者こそ、1970年代に「上田・金森の地震発生モデル(第8話で「古い常識」として紹介)」を提唱した金森博雄氏(カリフォルニア工科大学名誉教授)その人でした。
彼だけではありません。東京大学地震研究所では東北沖での巨大地震・巨大津波を扱ったシンポジウムが開催されていましたし、東北大学では1000年に1度程度起きるとされる巨大津波災害の研究プロジェクトが始まっていました。いずれも2011年より前の話です。
古い常識と新しい発見の「外堀」を埋めるための具体的な行動も始まっていました。プレート境界の固着の様子をちゃんと調べるためには海底で地殻変動を測定せねばなりません。日本の地震学者たちは、2000年頃から海底地殻変動観測網を少しずつ展開していました(その方法の詳細などはまた後日お話ししましょう)。宮城県沖での海底観測は2005年頃から始まっており、貴重なデータがようやく溜まり始めていました。
一方、陸上の地質調査によって、平安時代の歴史書の中に記された大津波の痕跡が発見されていました。国の地震調査研究推進本部は、地質調査の結果を踏まえて新たな長期評価を策定しつつあり、2011年3月末に福島県庁にその内容を説明する予定でした(注4)
つまり、地震学者たちは古い地震発生モデルのほころびや超巨大地震の発生の可能性に気付いており、裏付けデータを集め始めていたのです。恐れていた超巨大地震が起きたのはその矢先でした。もう少し時間があったならば。あと10年、超巨大地震発生が遅れていれば……。

◎大発見が予知に生かされなかった本当の理由

地震学者たちにとって、2011年東北地方太平洋沖地震は想定外の地震でした。より正しく言えば「地震学者たちは東北沖の超巨大地震の発生を多少想像していたが、その対策を練れるほどまで観測データは集まっておらず、議論も深まってはなかった」と言えるでしょう(図4)。
しかし、仮に議論が深まっていても対策はできなかったかもしれません。なぜなら、2011年の超巨大地震発生から3年後の2014年現在でも、いくつもの謎が残っているからです。
例えば、プレート境界は2000年頃には強くくっついていたのに、2010年頃にはくっつき度合いが弱まっていました。いったいなぜ? また前述のとおり、最近の約100年間は東北日本の陸地は圧縮されているようには見えませんでした。地震は押し縮められた地殻が反発して一気に伸びるときに起きると考えられていますが、超巨大地震のエネルギーはいつ蓄えられたのでしょう? 何百年も前に東北日本はすっかり押し縮められていて、最近100年間は縮んでいるようには見えなかった(でも地震のエネルギーを蓄えたまま耐え忍んでいた)のでしょうか? これらは地震が起きてしまった現在でもまだ解明できていません。はたして地震の「前」に解明できたでしょうか?

図4. 防災計画構築プロセスの概念図。想像内から想定内へと進むプロセスのうち、2011年の超巨大地震への備えはその途中(矢印)であった。

さらに、想定外が無くならない理由は「想像力や情報収集力の弱さ」ではなく、「想像を被害想定に取り入れる意思決定プロセス」にあるのではないかという意見もあります(注1)
2011年より前を振り返ると、海底での巨大地震に対する国や地方自治体の防災計画は、過去に発生した地震・津波の経験に基づいて立てられていました。仮に科学的な調査が進んでいたとしても、日本近海で超巨大地震が起きる「前」にどこまで備えることができたでしょうか? 
非常に不幸なことですが、地震学者たちが大なり小なり想像していた超巨大地震は、対策を練る前に起きてしまいました。多くの人が地震学者に失望し、地震学者も自身に失望しました。しかしこれで終わりではありません。前述のとおり、西南日本でもM9クラスの超巨大地震が起こる可能性が十分考えられます。
21世紀初頭を生きる日本人は、もしかすると超巨大地震を1世紀のあいだに2度体験するという世界でも稀有な民族になるかもしれません。そんな日本人がいまできることは、地震や津波による被害を甚大なものにさせない努力することと、2011年の超巨大地震が突きつけた謎を少しでも早く解くことではないでしょうか。
さて、想定外と想像内の話は、今回でいったん中締めとしましょう。本当は重要なキーワードである「アスペリティ」や、地震予知の現状や将来についても触れないといけないのですが、また後日。想定外に関するエピローグもありますが、それもまた忘れた頃に。


注1:井上健太郎, 「想定外」が無くならない真の原因, ITpro(日経コンピュータ), 2011年9月26日掲載:http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20110920/368939/


注2:国土地理院, 東北地方の地殻変動, 地震予知連絡会会報,第86巻,184-272,2011. (P.186および第16図を参照)。これは2011年2月18日の第 189回地震予知連絡会で報告されたものです。http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou86/03_34.pdf


注3:実際に自分自身の解析結果と既存の学説の不一致について悩んだ学者もいました。
西村卓也, 第189回地震予知連絡会についての報告, 日本地震学会ニュースレター, Vol.23, 2011.
http://www.zisin.jp/modules/pico/index.php?content_id=2218 文中に「筆者自身も1990年代後半のGPSデータを用いて、プレート間の固着分布を推定したことがあるが、福島県沖では宮城県沖と同様、ほぼ完全に固着しているという結果が得られて頭を悩ましたものである」とあります。また「福島県沖ではプレート間の固着の強さが数年単位でゆらいでいる」のではないかとして、従来の研究結果との整合性を考察しています。なお、この小文が受理されたのは2011年3月7日、東北地方太平洋沖地震の4日前でした。


注4:宍倉正展, 緊急寄稿『地層が訴えていた巨大津波の切迫性』, サイエンスポータル, 2011年3月20日掲載:http://web.archive.org/web/20110326041344/http://scienceportal.jp/
HotTopics/opinion/180.html
M8を越える巨大地震発生が予測されていました(ただM9の超巨大地震が起きる確証までは至っていませんでした)。

つづく

【バックナンバー】
第1話 世界一深い穴でもまだ浅いのだ
第2話 「マグニチュード9.0」ってなに?
第3話 マグニチュードがだんだん増える?
第4話 地震計は命を救う
第5話 地震科学は失敗ばかり?
第6話 地中の埋蔵金の探し方(1)
第7話 想定外と想像内の狭間で(1)
第8話 想定外と想像内の狭間で(2)
第9話 想定外と想像内の狭間で(3)