ANTARCTICA

 

めざすは南極、しかも冷た〜い湖の底。

なぜ行くのか? それは珍しい生き物がいるから!

世界一深いマリアナ海溝の高画質撮影を成功に導いた、

若き水中ロボット工学者が、南極大陸の地を踏み、

過酷な現地調査に同行することになったのだが…。



著者プロフィール
後藤慎平(ごとう しんぺい)

大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた。雑誌「トラ技 jr」にて「深海のエレクトロニクス」を連載中。

【バックナンバー】
第1話 日本出発
第2話 フリーマントルから南極へ
第3話 暴風圏突入!
第4話 上陸訓練はペンギンと一緒に
第5話 しらせを発艦! 南極大陸に上陸!

 

めざすは南極湖底生物!

水中ロボットを背負って

 

第6話

南極への熱き想い

文と写真 後藤慎平(水中ロボット工学者)

「しらせ」の前でしらせの自作模型を持つ小学5年生の筆者。帽子もしらせ。

◎しらせとの出会い

私が生まれて初めて「南極」と出会ったのは、おそらく生まれてごく間もないころだと思う。ひょっとすると生後数か月だったかもしれない。船が好きだった父の影響で家の中には船の模型がたくさんあり、船に囲まれて育つこととなった。そんな模型の中で後藤少年の目を奪ったのは、ひときわ鮮やかなオレンジ色の船だった。物心ついたときには、その船の名が「しらせ」で、南極に行く船ということを刷り込みのように覚えていた。
小学校に進み体も大きくなるにしたがって、家にある小さな模型に飽き足りず、とにかく大きな「しらせ」を作りたいという気持ちで、本当に夏休みの工作として巨大な「しらせ」を作ってしまった。建築デザイン系の仕事をしていた父のお陰で、家には材料や工具が山ほどあった。スチレンボード、マニラボール紙、巨大なカッティングマット、自分の身長と変わらないくらい長い金尺などなど。これらを使って出来た巨大な「しらせ」は、子供が両手を広げてやっと持てるサイズとなった。
そんなある日、母が実物の「しらせ」が地元の港に寄港するという情報を聞いてきた。関係者や知人から人づてに聞くくらいしか情報が得られなかった時代だ。ましてや、研究船や自衛隊の艦船の一般公開などはほとんど行われていなかったし、興味を持つ人もごく少なかった。なので、そんなレアな情報を船好きが放っておくわけもなく、その日は朝から車に巨大「しらせ」の模型を積み、一家揃って見学に行った。
自作した巨大「しらせ」の模型を持って実物「しらせ」の前で写真を何枚も撮り、その光景に興味を持った自衛隊の方たちに囲まれて、「大きくなったら南極行きたい?」「将来、一緒に行こう!」と声を掛けてもらったことを覚えている。
あれから25年、「南極に行ってみたい」と思い続けていたら、本当に南極に行くことになったのだから、帰国して何年も経ついまでも夢を見ていたような気持にさえなる。

◎深海をめざす

25年、南極のことばかり考えていたわけではもちろんない。私が大学1年生の頃は、「いつか自分の作った探査機で深海の景色を見てみたい」という夢を持って、独学で水中探査機を作ろうと試行錯誤の日々を過ごしていた。水中探査機は、当時も今も教科書や参考資料はほとんどないので、手探りで水中探査機を作ろうとしていたのだ。 海や湖で使うには電源が必要だけど、エンジン発電機なんて持っていない。じゃあ、バッテリで動く仕組みにしないといけない。でも、カメラはバッテリで動いてもリアルタイムで映像を映し出すテレビモニターは電源が要るが、当時はバッテリで動く小型のモニターは高額で買えなかった。
また、これらの機器を封入する防水ケースはどうするか?スラスター(推進器)は深度が増すにつれてシャフト部から浸水するんじゃないか?当時の私にはすべてが難題だった。しかし、これらを1つひとつ解決していくことで、だんだんと水中探査機の構造を理解し、試行錯誤したことでお金を掛けずに作る方法を見出せたと思う。
普段は容易に窺い知ることのできない水の中を、探査機という道具を使って見る術を手に入れると、次はもっと遠く、もっと深くに潜りたくなる。実は人類の潜水の歴史もそうして進化してきた。人類で最初に潜水調査をしたのは、かの有名なアレキサンダー大王(A.C.356年~A.C.323年)だと言われている。最初はお寺の釣り鐘のような形をした樽型のガラス瓶の中に入り、船から吊るして海底を観察した程度だったが、もっと深く!という思いから、人類はさまざまな潜水具を生み出してきた。
水深200mも潜ると光が急速に衰えて漆黒の世界となる。強力な投光器を持ってしても十数メートル先を見るのもやっとである。さらに海底に到達すれば、普段、我々が食卓で見ているような魚とは全く異なる形状をした生物が数多く見られる。初めてみる深海の景色は、どこを切り取っても驚きと新鮮で満ち溢れている。

ふだん目にすることのない深海魚トウジン。

◎深海の何が大変なのか

深海に潜るには、素人が独学で作ったオモチャでは到底太刀打ちできない。深海どころか、外洋に出ただけで波にもまれてあっという間に木端微塵になってしまう。水中に潜る探査機に求められるのは、何よりも水圧に負けない強度。マリアナ海溝最深部では、1平方センチメートルに掛かる圧力は1トンを超えるのである。これは人差し指の先に軽自動車2台が乗っかっているのとほぼ同じ状況で、さらに、水中なので四方八方からこの圧力が掛かる。常人なら指が砕けるだろう。
水圧に悩まされるパーツは、スラスター(推進器)だ。スラスターはモーターのシャフトに取り付けたプロペラを回転させて推進力を得る装置のこと。水中探査機に使うモーターは、大きく分けると「油圧で動くタイプ」と「電気で動くタイプ」の2種類あるが、前者は油圧を発生させるポンプが必要となり、システム全体が大きくなるため小型の探査機ではあまり利用されない。そうなると、電気で動くモーターを使ったスラスターが選択肢として残るが、電気製品を海水に浸けるとバチン!と壊れてしまう。そのため、水中探査機は「耐圧容器」と呼ばれる水圧に耐える容器の中に電気部品を格納するのだが、スラスターはプロペラを回して海水を攪拌して推力を得るから、プロペラとモーターを繋ぐシャフト部分は海水中に暴露することになる。
さらに、シャフトは回転するので、その可動部から水が入るのである。これを解決するには、マグネットカップリング方式や均圧方式など色々な方法があることを後で知るのだが、独学ではこの辺りが限界だった。

モーターのシャフト部の防水対策が行われていないとモーター内部に水が浸入する。

モーター内部を油で満たして水の浸入を防ぐ均圧式のモーター。

そこで一念発起して、大学生だった頃からの「いつか自分の作った探査機で深海の景色を見てみたい」という想いを実現すべく、国の海洋研究機関の門をたたいた。ちょうど大型の作業用探査機の新規開発が始まった頃で、その開発チームに配属となった。
チームには深海探査機の運航長を20年以上も勤め上げた、まさに「親方!」と呼びたくなるような上司がいて、重作業用探査機の開発から運用、さらには、親方が長年培ってきた水深1万1000mに潜るためのノウハウに至るまで、ゼロから「活きたノウハウ」を学ばせてもらった。毎日毎日、二人で作業をするなかで、本物の深海探査機を作り、運用し、守るということの難しさを、身をもって教えてもらったと思う。
2014年には自分が担当した探査機で、念願だったマリアナ海溝での潜航も経験することができた。この時、一緒に探査機のパイロットとして乗船していた先輩は、「自分で整備したんだから最後まで自信もってやれば良い」と言って花形の探査機本体のパイロットを私に任せてくれた。

2014年1月に行った「ABISMO」のマリアナ潜航の様子。

ROVの概略図。

深海探査機を船上で整備する筆者。

深海探査機の船上操縦装置。

ROV(Remotely Operated Vehicle:アールオーブイ)と呼ばれる水中探査機は、機体に搭載しているカメラで撮影された映像を船上のテレビモニターでリアルタイムに見ながら操縦する仕組みである。そのため、目の前にあるモニターに映し出される映像には、どことなく既視感を覚えるのだが、同じROVでも、実際に自分で操縦して見る深海は―――それどころじゃないのである。
カメラ映像のモニターだけを見ていると事故を起こしてしまうため、パイロットは探査機から送られてくるさまざまなパラメータを常に確認しながら操縦しなくてはならない。探査機の海底からの高度、方位、傾斜角、ケーブル張力など、時々刻々変化する水中での状況を把握しておかなければならないのだ。正直、どれくらいの時間、海底にいたのか?なんてまったく覚えていない。あっという間だったように思う。
この経験が自信につながったことは言うまでもなく、こうして、信頼できる先輩たちのサポートを受けて深海調査機器の技術者としての道を本格的に進むようになった。そう、私はいつしか、海の中を調べるロボットの専門家の道を歩んでいて、その腕を買われて南極に来ていたのだった。

つづく