ANTARCTICA

 

めざすは南極、しかも冷た〜い湖の底。

なぜ行くのか? それは珍しい生き物がいるから!

世界一深いマリアナ海溝の高画質撮影を成功に導いた、

若き水中ロボット工学者が、南極大陸の地を踏み、

過酷な現地調査に同行することになったのだが…。



著者プロフィール
後藤慎平(ごとう しんぺい)

大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた。雑誌「トラ技 jr」にて「深海のエレクトロニクス」を連載中。

 

めざすは南極湖底生物!

水中ロボットを背負って

※本連載は書籍化のタイミング(2023年11月)で第9話までの公開に変更しました。つづきは『深海ロボット、南極へ行く』(後藤慎平著、太郎次郎社エディタス)をご覧ください。

 

第1話

日本出発

文と写真 後藤慎平(水中ロボット工学者)

◎オーストラリアへ

第59次南極地域観測隊は、オーストラリアのフリーマントルからの乗船であった。2018年11月27日の夕方に成田空港を出発し、ブリスベンで乗り継ぎをして、翌日の昼頃に西オーストラリアのパース空港に到着するという旅程が組まれていた。
成田空港には観測隊員の家族や務め先企業の人など大勢が集まり、ちょっとした有名人が来たような騒ぎになる。実際、見送りの際には保安ゲートの前に人の垣根が出来るので、事情を知らない人からは「誰か芸能人が来てるの?」と聞かれることもある。そんな家族や仲間からの見送りを背中に受けつつ、これから始まる「南極生活」に向けて日本を離れるのだ。
私の場合、大阪の実家から家族が来ていたが、出国手続き開始の詳しい時間は出発の数週間前まで決まらないため、「夕方には保安ゲート入るんじゃない?」と適当に伝えていたことがアダとなった。彼らは東京駅から帰阪する新幹線(なぜ、成田-関空便にしなかった!?)を19時に予約しており、「明日、仕事だから-」と、見送り前にあっさり帰ってしまったのだった。
成田空港からパースまでは乗り継ぎの待ち時間も入れると、半日以上の移動となる。飛行機の中でぐっすり眠れたらいいのだが、ワクワクと緊張であまりぐっすりは眠れない。パース空港からはさらに団体バスで1時間ほど移動し、ようやく「しらせ」が待つフリーマントルへ到着するのだ。

フリーマントルの港に寄港する「しらせ」が遠くに見えた!
2週間ほど前、11月12日に晴海ふ頭で見送ったオレンジ色の船体を見ると、思わず「待たせたなぁ!」と言いたくなる。バスを降りると荷物を持っていよいよ乗艦となるが、「しらせ」はフリーマントル港の外国船籍用の岸壁に着岸しているので、出入りの際は門番に隊員のIDカードを見せないと乗れない仕組みだ。
いざゲートの中に入ると、大きなキャリーケースなどは一旦、その場に置いて、隊長を先頭に船のタラップを登る「観測隊乗艦」の儀式がある。タラップを登り切った先にある舷門では「しらせ」艦長以下、幹部の皆さんが敬礼で出迎えてくれるのだ。
これから4か月間もお世話になる自衛隊の皆さんの歓迎に胸が熱くなる。と、同時に、艦の最高責任者の出迎えと言う恐れ多い歓迎に、普段から船に乗る身としては恐縮してしまう。

観測隊長を先頭に「しらせ」へ乗艦する。

◎現地調達

フリーマントルでは、観測隊員の乗艦以外にも物資の積み込みや補給のため、約5日間の滞在期間(第59次隊では11月28日の夕方に「しらせ」へ到着、12月2日の朝に出港であった)が設定されている。観測隊員の多くは船での生活が初めてなので、まずは船内生活の指導を受ける。その後、免税品の積み込みや諸注意、連絡事項の伝達などを経て、夕方ごろにようやく1日の行程が終わりとなる。
前日の夕方に日本を出て大移動をし、皆くたくたなのはずなのに、夜は街に繰り出して食事をしたりFree Wi-Fiを求めて歩き回ったりと、思い思いに過ごすのだった。そして、夜も更け切ったころに船に戻ると、待っているのはベッド・メイキングだ。
「しらせ」の観測隊員の居室は二人部屋で、2段ベッド、収納式デスク、ロッカー、ソファー、洗面台が備え付けられている。居室の壁にはベッド・メイキングの作法が貼られており、これを参考に「快適」な寝床を作り上げるのだが、既に疲労困憊の状態では、正直、めんどくさい。出来る事ならこのままベッドに倒れ込んで寝てしまいたい。
しかし、出港前にそれをしてしまうと、以後、「ま、いっか」と言ってそのままになる傾向にある。なので、1日の作業が終わった解放感で浮足立って外に行く前に、ベッド・メイキングを済ませておくことをお勧めする。
前述の通り部屋は二人部屋なので、パーソナル・スペースはほぼ無いに等しい。そのため同居人との相性も気になるところだが、今回、私が同室だったのは国土地理院の方で、その心は仏のような慈悲に満ち溢れていて、4か月間でかなりお世話になった。
翌朝から、物資搬入の手伝いなどで精力的に動き回る。クレーンで甲板上に積み込まれた物資をバケツ・リレー方式で船倉へと運んでいくが、丸1日作業があるわけではない。作業の合間にはこれからの航海で必要になる物資の買い出しに出かける。
日本で買いそびれた物や乗船経験の長い者からのアドバイスを受けた物などを現地のスーパーで調達する。特に賞味期限があるような嗜好品は現地で買うしかない。しかし、ここでは既に手に入らおない物も少なくない。日本なら気軽にコンビニや100円均一などがそこかしこにあるので、思い付いたらすぐに買いに行けるが、オーストラリアでは当然、「これあったらいいのにな!」が気軽に買えないのだ。
私もそこそこ乗船経験は長い方なので、ある程度は日本から「しらせ」に搭載したが、やはり後になって「あ!コレ忘れてた!」なんてことがある。今回はスニーカーを積み忘れた。艦内でのジョギング用シューズやレセプション用の革靴は積んでいたのだが、艦内で気軽に履く、いわば「上履き」を忘れていた。
しかも私たちが到着した11月下旬のオーストラリアは夏である。気温は30度超えとなる日が多くなる。たった5日の滞在期間とはいえ、気軽に履けるスニーカーがほしくなり、現地の日用雑貨を扱う店で購入した。このとき買ったスニーカーのはき心地が驚くほどよく、出港前日にもう1足買いに走ったほどだった。
その他、既に南極入りしている前次隊の人から頼まれた食材や物資の買い出しに行った。ロングライフミルクという賞味期限が半年くらいある牛乳やお酒、野外観測でお昼ご飯として持ち出すパンやお菓子など、他の人に手伝ってもらいながら2~3回に分けて買い出しに行くほどの分量であった。
「こんなに食べきれるの?」とも思ったが、そこは、さすが経験者の発注。南極から帰るころにはほぼ完食だった。と、いうのも、昭和基地から遠く離れた場所で観測をするチームには、ちょっと変わった食糧事情がある。
日常の基本的な食材は調査日数に応じて自衛隊から食料が支給されるが、何でもかんでもあるわけではないので、「これがほしい!」というものは、自分たちで準備しなくてはならないのだ。個人的に「あったら良いな」コレクションをまとめてみた(ここでは船での生活を基本に掲載している⇒だって昭和基地にほとんどいなかったもん)。

フリーマントル港の近くには大きなスーパーマーケット(Coles)や市場などがあるため、新鮮な果物や雑貨なども購入することができる。

パースにある〇〇円均一ショップ的なお店。日本の製品が売られているので普段使い慣れた物がお手頃な価格で手に入る。

◎雑貨の必需品リスト

何かの参考になればと思い、南極地域観測隊に参加する際の必需品リストの雑貨編をご紹介しよう。

私がこれまでの船の生活で編み出した技で、一番オススメしたいのが伸縮ポールを使った小物入れである。

伸縮ポールとワイヤーネットを活用した小物入れの作例。

1人部屋の場合は散らかしても誰からも咎められることが無いが、2段ベッドなどでは自分の荷物を最小限のスペースに置く必要がある。そこで、100円均一でも入手可能な伸縮ポール2本とワイヤーネットを組み合わせると、簡易的な小物入れが作れる。ここに、目覚まし時計代わりのスマホを入れたり寝る前に読む小説を入れたりすると、ベッド周りがすっきり片付くのでオススメ。
私の場合、船で就寝時に外した眼鏡の置き場に困る。朝になるとベッドの隙間に落ちて大慌てなんてことも過去にはあったため、いつからか、乗船するとすぐにこの簡易小物入れを作るのが習慣になっている。次回は食料の必需品をご紹介しよう。

つづく